1945年8月15日、日本の降伏により第二次世界大戦は終結しました。
広島と長崎に二度の原爆投下が行われ、日本国民が未曾有の大被害を受けたことは周知の事実です。
しかしアメリカ軍が三度目の原爆投下を準備していたことはご存じでしょうか?
この幻の3発目は戦争終結によって使われることはありませんでしたが、実はその後アメリカでとんでもない事故を起こしています。
それが悪魔の核実験「デーモンコア」と呼ばれるものです。
ここではデーモンコアがどのような事態を招いたのか、歴史の流れと一緒にわかりやすく紐解いてみましょう。
目次
- 投下されなかった幻の3発目が「デーモンコア」となる
- 第一の惨事:プルトニウムの上にブロックを落としてしまい…
- 第二の惨事:マイナスドライバーを滑り落としただけなのに…
投下されなかった幻の3発目が「デーモンコア」となる
時は1941年2月23日。
第二次世界大戦の真っ只中で、アメリカの化学者グレン・シーボーグ(1912〜1999)が「プルトニウム」を発見します。
プルトニウムの存在はシーボーグ以前から予想されていましたが、実際にそのものを発見したのは彼が最初でした。
シーボーグは「世紀の発見だ!」として科学論文に発表しようとしたのですが、アメリカの上層部から「いや、プルトニウムのことは内密にしておこう」と秘匿されます。
なぜなら彼らは「プルトニウムを使って核兵器を完成させよう」と目論んでいたからです。
当時、ヒトラー率いるナチスドイツも核兵器の開発を進めており、アメリカやイギリスを中心とする連合国側はそれに非常な危機感を抱いていました。
莫大なエネルギーを放つ原子爆弾が完成してしまえば、自軍の負けが見えていたからです。
そこで連合国側は天才科学者たちを集めて、急ピッチで原子爆弾の開発を進めました。