自己決定権の問題は難しい問題です。自分で安楽死を決めたと言っても、環境からの圧力がどの程度影響したかは精査する必要があります。つまり、家族に対する遠慮や、経済的理由、社会からの圧力などが理由で安楽死を選択した可能性があるわけです。

このような場合、本当に自分で決定したと言えるのか問題があります。社会的弱者が本人の意思に反して安楽死に誘導されてしまうことは防ぐ必要があります。どのように制度設計をするかが問われます。有識者や国会議員の腕の見せ所です。

ただし、これは安楽死を選択しなかった場合にも同様のことが言えます。つまり、周囲の人間が誰も安楽死を選択していない環境では、本当に自分の考えで選択しなかったと言えるのか疑問が残ります。

安楽死を選択しなかった理由は、周囲が安楽死を選択していないことであり、自分の信念に基づく選択ではなかった可能性があるわけです。「みんながやらないのなら自分もやらない」 と考える人は、日本では少なくありません。

【最後に】 安楽死の定義があいまいなことや、自己決定権の問題に対しては、対策すればリスクを最小限にして不備の少ない安楽死制度にすることは可能です。しかし、リスクをゼロにすることは不可能です。リスクがゼロでなければ、安楽死を認めることはできないなどとしていれば、安楽死は半永久的に実施できません。

本論考のような提言をしますと、乱暴な意見だと批判してくる人が必ず現れると予想されます。しかしながら、このような提言を乱暴だと切り捨ててしまうことの方がよほど乱暴だと私は考えます。既に安楽死が実施されている国の報告より、どのような問題点があるかは明らかになっています。

今、日本において政治家、有識者、マスコミがするべきことは、用語を明確に定義した上で、安楽死の問題点を整理して国民に提示し、可能な限りの対策を法律や政令・省令で明文化し、不備のない日本に適した安楽死制度を構築することです。