今の「これどないせえっちゅうねん的議席配分」の結果として、どこかの誰かがクローズドに握りしめて何かを動かすことがどんどんできなくなる結果として、本当の意味で「衆知」を集めて決めるようになっていける、それは「超長期的にアメリカ一強ではどんどんなくなっていくグローバル社会における舵取り」の上でも重要だ、という視点はありえると思います。
最近の、103万円の壁関連の国民民主党とか維新とか立憲とか自民その他の「ドタバタ劇」には心を痛めている人も一部にはいると思いますが・・・
でもこれまで「官僚と自民党の部会」だけでクローズドに決めていたものを、これだけ「オープンにギャアギャア騒ぎながら決めて行けている」というのは、本当の「民主主義」のためには非常に大事な変化であるはずなんですよね。
日本の官僚はかなり優秀だと思いますし、「山積みの問題を破綻せずになんとか穏便に」落とし所を見つける能力は超すごいと思うし、それによって今までの日本の「安定」は保たれてきた功績は否定できないと思いますが!
とはいえ、そういう「弥縫策」でダマシダマシやるのも限界では?っていう流れになってきている中で、ある程度「ノイズ」の含まれるだろうけれども、それでもちゃんと「オープンな議論」ができるようになっていかなきゃ・・・という方向に日本社会は向かっているということなのだと思います。
今はまだギクシャクしていますが、その先で「ただ官僚システムの惰性の延長でなんとかなる範囲だけで帳尻を合わせる」ような方向ではない決断が丁寧に可能になる情勢に持っていくしかないですね。
それが、「中国型の汚職国家によって国家の権力を高めて一貫性を無理やり生み出す」みたいな方向ではない形で、日本なりに「民主主義をちゃんとやる」ために必要な産みの苦しみなのだと思います。
なんとか、「汚職にめちゃ厳しい国=日本」ならではの方法で、そういう「ちゃんと衆知を動員して状況に対応できる国」にしていきましょう。