海保機
経過報告は事故要因として
(1)海保機が誤侵入
(2)管制が海保機誤侵入を非認知
(3)JAL機が海保機を非認知
を並列に置いているが、海保機が管制指示に相違して誤ってC滑走路に侵入したことが一義的な要因であることは明白に見える。報告書によれば、2024年元旦、能登半島地震の発生を受けて海上保安庁は羽田特殊救難基地特殊救難隊の隊員を同日、事故機と同じ機体で小松基地経由で派遣していた。翌1月2日に海保機は震災支援物資を同庁の新潟基地に届けた後、小松空港に飛行し、前日派遣した特殊救難隊の隊員を乗せて羽田に帰投する計画となった。ところが、整備の飛行前点検で補助動力装置(APU)の発電機に故障が見つかり、整備作業に時間を要するとともに、そのままでは目的地でのエンジンの始動に支障を来す状況となった。その後、調整の結果、新潟空港では電源車の借用が可能となった一方、小松空港では電源車の借用が可能かは分からなかった。とりあえず新潟空港へ向け見切り出発することになったが、故障に伴う整備作業などで出発時刻が遅れ、海保機の機長は航空機乗組員の帰宅方法についても考慮し、なるべく急がなければならないと考えた。このことが、急ぐあまり操縦士の判断力など人間の能力を低下させる「ハリーアップ症候群」(米国NASAの用語)を招いた可能性がある。
海保機が離陸する羽田空港C滑走路に向かうなか、17時45分14秒にタワー管制官は海保機に対し「JA772A, Tokyo TWR, good evening. No.1, taxi to holding point C5」と述べ、C滑走路手前の停止ポイントまで進み待機するよう指示した。これに答えて副操縦員は17時45分18秒、「To holding point C5, JA722A. No.1, Thank you」と正確に復唱した。ところが、海保機長は副操縦員の「No.1」の復唱にかぶせて「No.1」「C5」と言った。この時点で海保機長は、離陸の優先順位が1位であるだけなのに、これを離陸許可と誤認していた可能性がある。
17時45分23秒に海保機長は「問題なしね」と言い、これに副操縦員は「はい、問題なしでーす」と答えた。そして17時45分25秒に機長は「はい、じゃあ、Before Takeoff Checklist」と言い、本来離陸許可が出てから実施すべき離陸前チェックリストの開始を指示した。この時点で副操縦員が疑問を持ち、機長に話し、タワー管制官に再確認していれば、C滑走路への誤侵入は防げたはずである。
結局、海保機は滑走路停止ポイントで止まることなく、17時46分26秒頃にC滑走路に侵入した。このような機長の誤認識の背景には、急ぎや焦りによる『ハリーアップ症候群』によるヒューマン・エラーに加え、震災支援物資を運ぶという使命感と共に自身が離陸優先順位で特別扱いされるという思い込みがあったのかもしれない。一方でタワー管制官は、事前に飛行計画を確認して、この海保機の飛行は捜索救難機のように優先的な取り扱いの必要がない単なる物資輸送のための飛行であると認識していたのである。しかし、裏を返せば、捜索救難機であれば海保機の飛行は優先的な取り扱いを受けているということである。このような海保機フライトでの離陸優先順位の特殊性について、報告書はもっと踏み込んで分析しても良かったのではないだろうか。
報告書によれば、17時47分27秒にJAL機が海保機の後部に衝突する直前に、海保機長は離陸のためエンジンの出力を上げ始めていた。このため、海保機長は衝突と火災が発生した際、エンジンが爆発したものと思った。そして、数秒間伏せていた後、後席にいるはずの機上整備員に確認しようとしたが、姿は見えなかった。副操縦員も見当たらなかった。「脱出しろ」と叫びながら、操縦室上部にありハッチが外れていた非常脱出口から脱出した。改めて他の5名の航空機乗組員を探したが、発見できなかった。火災を避けC滑走路東側の草地に移動した海保機長は、火災のため、両手及び両足に火傷の重傷を負いつつも、海保羽田基地に携帯電話で「機体が爆発した。身体はボロボロだ。他の乗員は暗くて分からない」と報告を行った。管制指示を誤認識した可能性が高いとはいえ、海保機長の事故後の振る舞いはプロフェッショナルのそれである。報告を受けた海保基地は、特殊救難隊の隊員を事故現場に向かわせることにした。たらればの話となるが、もしJAL機の着陸が30~60秒遅ければ、海保機は離陸して衝突を回避できていたであろう。