集権、独裁を止めた後はどうするのか?西側に近い民主選挙などの体制に移行していくということだろう。天安門事件直前の1989年3月、このような説明を受けた鄧小平は「自分はまさにこういう考え方だ」と述べたそうだ。(馬立誠「当代中国八種社会思潮」20頁)

鄧小平は事件後の1990年1月にも、訪中した李嘉誠に対して「(香港の一国両制は)50年変えない」、「50年が過ぎた後は、なおさら変化する道理がない(五十年之后更没有变的道理)」と述べている(youtube)。ここでも「経済・社会が発展していけば、やがて中国の政治体制も西側に近付いていくだろう」という方向感覚があったように感じられる。

2000年頃に流行していた言葉に「接軌(ジェグィ)」というのもあった。

線路が合流していくさまを表す言葉で、まずは経済から、時間をかけて政治体制も国際社会の主流に近づけていくという含意があった。

ただ、ここでも「14億人の中国人がみなそう考えていた訳ではない」ことを断っておこう。

2010年代に来た転機

西側先進国の経済、政治、文化が「仰ぎ見て、見習うべき手本」だった時代に変化が生ずるのは2010年代だ。二つの力が働いた。

一つは中国自身が発展するにつれて、自信を持つようになってきたことだ。「何でもかんでも西側の真似をすれば良いというもんじゃない」、「中国には中国の良さがある」といった感覚が強まってくる。自然で当然な成り行きだ。

もう一つは、手本たるべき西側先進国の「劣化」が露呈する出来事が何度も起きたことだ。

最初は2008年のリーマン・ショックだ。「政治はともかく、経済は西側に見習わねば・・・」と考えてきたのに、先生役の米国で大失態が起きた。内実を聞いてみると「そんな馬鹿げたことが罷り通っていたのか!」と、ビックリした。加えて西側先進国(一部)が中国に「助けてくれ」と泣き言を言いに来た。

一方、中国は「4兆元投資」で見事に経済回復を果たしただけでなく、世界経済の回復を牽引する役割も果たし、「救世主」の称賛を浴びた。