(前回:私的「中国この30年」論⑤:個人独裁と集団指導の間を揺れ動く大振り子)
前回は、習近平氏の治世において、西側が30年前に期待したような民主化が進まないどころか、著しく退行してしまったのは何故かを内政面から解説したが、もう一つ触れたい論点がある。
中国が西側とその政治・経済体制をどのように見るか、端的に言えば、見習うべき対象として仰ぎ見るのか、「学ぶに値しない」として見くだすのかという「心理学」だ。中国はこの点でも30年の間に大きく変わった。
いまの若い人は想像できないかもしれないが、私が北京で暮らした1990年代の末は、自虐的な中国人が多かった。曰く;「中国は後れている」「人が多すぎる」「国が大きすぎる」云々。
彼らにとって、西側先進国は「仰ぎ見る」存在、見習うべき手本のような存在だった。
中国の政治形態を形容する言葉として「新権威主義」がある。近年その含意は大きく変わったかもしれないが、少なくとも天安門事件以前は、以下のように「集権、独裁は過渡的な手法に過ぎず、中産階級がじゅうぶん育った時には止めるのだ」と理解されていた。
中国の国情を鑑みると、経済現代化と政治現代化は、同時でなく段階的に進むべきである。まず経済現代化を実現し、その後に政治現代化を行う。
自然経済から市場経済への転換、ひいては経済現代化を実現するには、集権体制の下で進める必要がある。この集権の目的は現代化の追求に向けられるべきである。
現時点で中国における政治改革は、全面的な政治民主化ではなく、集権制と政治独占の実行を意味する。
新権威体制の使命は、市場化と私有財産制度を強力に推進する、中産階級を育成する、そして政治的反対派を抑制して安定を維持することである。中産階級が発展・成長した時点で新権威主義は統治を終えるべきである。
岳麟章、鄭永年《新权威主义与政治民主化》1989