乙は「木の陰」、巳は「火の陰」であり、今年の干支は木生火(もくしょうか)という相生関係の組み合わせです。木は木擦(こす)り摩擦熱により火を生じる関係で、さらに燃えて、火力を強める働きがあります。だから、起こる変化は非常に大きなものになるのです。

以上の考察から、今年の年相を私流にまとめるとキーワードは「けり」をつける、「けじめ」をつける年ということになります。どんなに外界の抵抗が強くても、不撓不屈の精神で「けじめ」や「けり」をつけるべき事柄をやり抜かなければなりません。ありきたりの意気地のない、だらしない誤魔化しの生活に「けり」をつけ、溌剌として勇猛果敢に諸々の事柄に雄々しく処していかなければならないのです。

乙巳は、六十干支の中でも、大きな変革に繋がる極めて大事な特別な組み合わせで容易ならざる年であり、今年様々な事柄で「けり」や「けじめ」をつけるべきことをうまく処理出来るかで今後の運命が左右されるといっても過言ではないです。

国の内外の歴史の事実に徴すると私が前記したことがよく理解出来ると思います。

ずっと過去の乙巳の年を遡って象徴的な事例を拾いましょう。

<二八五年> ・ローマ帝国の分割統治が始まる。

<六四五年> ・有名な大化改の改新です。中大兄皇子や中臣鎌足らは、天皇を中心とする中央集権国家の建設を目指し、蘇我入鹿を宮中で暗殺し、軽皇子(かるのみこ)が即位して孝徳天皇となる。旧来の因習を廃して飛鳥時代に「けり」をつけた。

<一一八五年> ・壇の浦で栄華を誇った平家一門が滅亡して、源氏が鎌倉幕府の政治体制を確立していく。

<一五四五年> ・トリエント公会議が開会。プロテスタント諸教会はカトリック教会と分離。

<一六〇五年> ・徳川家康が征夷大将軍を辞退し、秀忠が二代将軍に就任。実質的に戦国時代の終焉を迎えた。

<一八四五年> ・水野忠邦が老中を辞職して、天保の改革が終わった。