そのため昨年あたりから、一部自治体は軽症診断された場合の救急車有料化や、119番での出動拒否の導入を開始している。119番する人が非常識、不道徳なら、規制はやむを得ない。

もうひとつの年初の記事は、日本の医療の限界、フリーアクセスの限界と見直しの必要性を示唆している。

大学病院や一部の病院が選定療養費つまり紹介状無しで受診すると数千円の自己負担を追加するようになったが、相変わらず大病院志向は止まらない。寄らば大樹、何となく安心だからか。

医師一人が診察できる人数は限られる。一時間に患者が10人なら6分診察できるが、20人なら3分になってしまう。丁寧に診察して欲しいなら、皆が押しかける大病院に「行ってはいけない」。

記事では粉瘤とあったが、筆者の所属先含めて、気の利いた開業医なら日帰りで30分もあれば処置(手術)できる。小さなものなら初診診察その場でやって終了、もあり得る。記事の場合は紹介とのことで同情の余地があるが、「手術なら大きいところがいいです」などと言ってはいないか。そのように言われてしまうと、できるものでも「万一何か面倒になると嫌だな」と紹介して「投げてしまう」。

田中角栄政権時の老人医療費無料化以来、高齢者医療や小児医療はタダ同然に近い。さらに「受診は自由」フリーアクセスゆえに病院ショッピング、ドクターショッピングが横行する。中には十数種類の薬を処方され、何を飲んでいるか分からないという人も居る。

ポリファーマシー(多剤併用)の害が言われる近年だが、あちこちの医者にかかり沢山薬を飲み、具合が悪いとさらに別な医者病院でさらに薬をもらう。近年の研究では、かかる病院が増えるほど健康度が下がることも知られてきた。

大学病院や大病院の使命は、開業医や市中病院では対応困難な症例への対応、高度医療提供である。救急医療の使命は、命が危うい人こそ助けることである。これが、フリーアクセスと安易な無料化、負担軽減によりモラルハザードを招き自壊を招いている。