もしかすると、「自分も承認欲求が強いかも……」と心当たりがある人もいるかもしれません。

ところが、この「承認欲求」という言葉が、実はごく最近になって日本や海外でも多用されるようになったものだと聞いたら、驚く方も多いのではないでしょうか。

もちろん「他者から認められたい」という概念自体は、古くから人間の営みのなかに存在します。

例えば、アルフレッド・アドラーの「劣等感と優越コンプレックス」や、マズローが唱えた「尊重(esteem)の欲求」など、学問の世界では何度も研究されてきました。

しかし、これらはもともと一部の専門家だけが使う高度な用語でした。

現代のように、一般人が日常会話やSNSで「承認欲求」というキーワードを当たり前のように使うのは、ここ数年~10年程度の新しい現象なのです。

しかしなぜこんなに急速に「承認欲求」という言葉が流行し、誰もが当たり前のように使う時代がやってきたのでしょうか?

今回のコラムのタイトルは「承認欲求は存在しない」という刺激的なものですが、決して単に「言葉だけ」を否定しようとしているわけではありません。

なぜ現代になって「承認欲求」という言葉がこれほど広まったのか――その背景には、実は人類が歩んできた“血塗られた歴史”が大きく関わっています。

人類の血塗られた歴史

話しを進める前に、私たち人類がたどってきた過去を振り返りたいと思います。

狩猟採取の時代、人類は小規模な集団(多くは数十~数百人)を単位として生活していましたが、近年の考古学や人類学の研究によって、そのような小さな規模の集団であっても、仲間同士での殺人率が非常に高かったことが、明らかになっています。

たとえばKeeley, L. H. (1996)らが発表した研究では、考古学的証拠から「先史時代の社会が決して平和ではなかった」ことを示し、狩猟採取民でも激しい争いや殺人が日常的に行われていた可能性を指摘しています。