その後、民主党は改憲を行い第二共和国の与党となりますが、政情は混乱し、学生たちのデモが続く中、韓国近代史を覆す一人の軍人が登場します。
- 朴正煕政権
1961年、「5.16軍事クーデター」で政権を掌握した朴正煕(パク・チョンヒ)は、現代韓国保守主義に大きな影響を与えた人物です。
その思想は一言で、「国家主義、権威主義的保守主義」です。彼の思想をよくあらわしてくれる代表的な演説は次のようです:
一言で、政治の目的と制度の真の価値は、その国の当面の課題を効率的に解決し、遠大な国家目標を着実に実現していくために、国民の知恵と力量を一つに集め、生産的な力を最大限に発揮できるように、後押しすることにあると私は信じています。いかなる名分と理由であれ、(中略)国民の和合と社会の安定を阻害し、国論の分裂と国力の浪費を助長するそのような形の政治のやり方は、私たちが直面している厳しい現実が到底それを許さないはずです。
1978年、陸軍士官学校卒業式にて
朴正煕大統領の国家主義に影響を及ぼしたのは満州国でした。
経済開発5カ年計画などの計画経済、輸出主導、農村振興、重化学工業育成など戦後の日本と韓国の圧縮的政治·官僚主導成長戦略と、韓国のセマウル運動、国旗に対する誓い、愛国照会、軍事教育、忠孝教育、国民教育憲章、退廃風潮の取り締まり、町内会、高度国防体制のための総力安保体制など、朴正煕大統領の政策は、全て満州国の国家社会主義と非常に似ています。
満洲国将校だった朴正煕は、二二六事件の国粋主義者をも評価していたと言います。
実際、満州国官僚出身の岸信介総理と朴大統領は親交が深かったと言い、岸総理が国民皆保険を作ったように、韓国の医療保険が法律として成立され、実施された(一部のみ、1989年から全国民対象)のは朴正煕時代でした。