1950年に勃発した朝鮮戦争は、韓国保守派のイデオロギーを決定づける重要な契機となりました。戦争による甚大な被害と共産主義への憎悪が、韓国保守派を「親米反共」と「経済成長」政策に収束させ、現在に至る保守主義の基盤を形成しました。

6. 自由党政権

3.15不正選挙での自由党と民主党のポスター

1955年、朝鮮戦争後の混乱が続く中、李承晩(イ・スンマン)政権の自由党は長期政権維持のため「四捨五入改憲」を実施しました。この改憲に反対した勢力が集まり、「民主党」を結党します。

この民主党は、現在の「共に民主党」の前身とされています。ただし、当時の民主党もまた保守系政党に分類されていました。中心となったのは地主と資本家、そして自由党からの反李承晩勢力であり、彼らもまた徹底した反共主義を掲げていました。

地主と資本家が李承晩に反対した原因と言えば、李承晩が農地改革を行ったことにあります。李承晩は地主層と政治的な見解の相違を見せ、そのため農林部長官に左翼系の人物を任命し、農地改革を実行したことで、地主層の反発を招きました。

農地改革の内容としては、地主から農地を没収し、耕作民に分配する典型的な社会主義政策でした。後述する、李承晩を自由主義者だと主張する保守派がいますが、李承晩は決して自由主義者ではありません。ただの独裁者です。

いずれにせよ、現代のリベラル政党とされる「共に民主党」の源流は保守系にあったのです。そうした中で、民主党は後述する1990年の「三党合党」により孤立し始め、1996年金大中(キム・デジュン)が民主化運動家や革新系の人物を大々的に登用したことで、リベラル政党へと変化し始めます。

こうした李承晩政権は、1960年の大統領選挙で彼を死ぬまで執権させるための不正選挙を企て、これが「4.19革命」の引き金となり、李承晩は最終的にハワイへ亡命します。