一方、金九は李奉昌による昭和天皇暗殺未遂事件(桜田門事件)の背後にいた独立運動家です。
両者はともに朝鮮の独立を目指しましたが、その手段は異なりました。
李承晩:外交による独立を主張 金九:テロや武力を伴う独立を主張
独立後も両者の対立は続き、李承晩は南側のみの単独政府樹立を目指し、金九は朝鮮民族による統一政府の設立を目指しました。
この対立は、冷戦の進行とともに韓国保守派を大きく分岐させることになります。
4. 反共主義保守の勝利韓国の保守派はここで重大な選択を迫られました。
李承晩の反共主義:アメリカと連携し、共産主義と戦う路線 金九の民族主義:朝鮮民族の統一を優先する路線
結果として、冷戦構造が李承晩を支持する形となりました。北朝鮮の金日成(キム・イルソン)は統一協議で南側に不利な条件を提示し、金九の統一運動は失敗。1948年、李承晩が初代大統領に就任し、翌年金九が暗殺されたことで、韓国保守派において民族主義は衰退しました。
ここで注目すべき点は、他国の保守派が民族主義(ナショナリズム)を重要な柱としているのに対し、韓国では逆の傾向が見られることです。
韓国の民族主義は、リベラル政党の共に民主党や、それより左派の「従北主義者」によって主張されることが多く、保守派はむしろグローバリズム的な姿勢を取っています。代表的に、例の金九は極右に近いにもかかわらず、革新派に評価され、保守派には「共産主義者」と非難されることもあります。
これは韓国が分断国家である特殊な状況による保守派の性質に起因していると考えられます。
ただし、ここで言う金九の民族主義はethnic(民族的)民族主義であり、後述する朴正煕(パク・チョンヒ)大統領のstate(国家的)民族主義とは異なる点に留意してください。
また、李範奭(イ・ボムソク)総理が提唱した「一民主義」もありますが、保守主義というよりファシズムの亜種に近いので、本記事では詳述を割愛します。
- 朝鮮戦争と保守主義の確立