旧韓末とは、日本の明治時代とほぼ一致する時代であり、西洋の文物が数多く流入し、朝鮮がロシア、清、日本の圧力の中で近代化を迫られた時代です。このような背景の中、韓国初の保守派として登場した団体について説明します。

1895年の日清戦争で敗北した清は、下関条約で朝鮮の独立を承認しました。この状況を受け、1896年に徐載弼(ソ・ジェピル)、李承晩(イ・スンマン)、李完用(イ・ワンヨン)らが立ち上げたのが独立協会です。独立協会は朝鮮に立憲君主制を導入し、自由民権運動を推進しようとした、韓国初の古典的自由主義政党でした。

高宗

一方で、当時の国王・高宗は独立協会の活動を警戒し、商人たちを巻き込んで、御用団体である「皇国協会」を設立しました。この皇国協会こそが、韓国初の保守派団体といえる存在です。

皇国協会は王党主義、重商主義、保護貿易を掲げた伝統保守主義(Classical Conservatism、古典的自由主義と対立していた)政党であり、日本でも知られる金玉均(キム・オッキュン)を暗殺した洪鍾宇(ホン・ジョンウ)もこの団体に所属していました。

しかし、1907年の大韓帝国建国後、高宗は独立協会を解散させ、皇国協会も役割を終えて消滅しました。このように、保守主義運動は短命に終わり、十分に展開されることなく幕を閉じることです。

2. 日韓併合後の空白と独立運動

1910年の日韓併合以降、韓国で保守主義運動と呼べる動きはほとんど見られなくなります。

しかし、時代が進み、1945年の日本の敗戦による独立後、韓国保守主義史における重要な二人の人物が登場します。それが李承晩(イ・スンマン)と金九(キム・グ)です。

3. 李承晩と金九の対立

李承晩と金九

李承晩は、かつて立憲君主制を唱えたため高宗に逮捕された経験を持つ独立運動家であり、例の独立協会を立ち上げました。