韓国の伝統を語る上で、儒教が最も重要な要素として挙げられます。しかし、アメリカのキリスト教右派や日本の宗教右派と異なり、韓国における儒教は政治的勢力としては大きな影響力を持っていません。むしろ、伝統的ではないキリスト教右派が影響力を持っています。

もちろん、儒教的伝統は民間で残存し、一部は軍事政権によって取捨選択されたこともあります。しかしフランス革命以降のフランスや、ワイマル共和国で復古運動(ブルボン王朝及びドイツ帝国)が行われていたとは異なり、韓国では「王政復古運動」が一度も起こらなかった点が特徴的です。

また、朝鮮時代の貴族階級「両班」(ヤンバン)は、現代韓国では皮肉を込めて使われる言葉となっています。両班は、儒教的倫理を掲げながらも、実際には農民からの苛烈な収奪を行い、社会の不平等を固定化しました。同時に朝鮮の統治理念だった儒教は、非常に硬直した思想であるため、近代化にうまく対応できなかった点が大きいです。

日本統治時代の開始と朝鮮王朝の滅亡を経て、身分制度は廃止され、国王と両班を基盤とする儒教的支配体制は政治的影響力を喪失し、保守派のイデオロギーとして「時代遅れ」だという印象を国民に与える結果となったと言えます。

これにより、韓国の保守派は「伝統と断絶された保守主義」となりました。

結論

伝統が断絶されて何も残っていない状況だったため、韓国の保守派は新しい価値観や制度を積極的に受け入れ、それを破壊し再構築することで、保守主義を確立してきました。この点では進歩的とも言えるものの、他国では理念的資源となり得た「伝統」を失ったことで、結果的に理念的な貧困に陥ることとなりました。

ここまでの簡単な説明で、韓国保守主義の特徴についてある程度ご理解いただけたでしょうか。次は、こうした特徴を踏まえ、韓国保守主義の歴史を具体的に振り返ります。

歴史

  1. 旧韓末における保守派の誕生