こう見てくると、2025年に明るい未来を描くのはなかなか困難なのは、日本の近現代を「40年―80年周期」で見る私のような者だけの話ではないであろう。誰がどう見ても2025年の日本を取り巻く状況は厳しいものがある。ただし、上記の周期説に従えば、2026年からは、逆に上り調子に転じるということになるわけで、即ち、2025年に底を打つことになるわけだが、実は更に心配なのは、そうならない気配が濃厚に漂っているということである。

かつて世界を席巻した経済大国がユーラシアの東端にあったという歴史的事実だけが残り、日本は、経済的にも人口的にも、反転攻勢に出ることなく、ずるずると沈んで行ってしまいそうな予感すらある。

リスボンやクスコといった古都を訪れると意識するかつての栄華。その町の人たちは、そうした民族の記憶と共に誇りを持って暮らしてはいるが、現在が必ずしも豊かなわけではない。ポルトガル帝国や古くはインカ帝国に想いを馳せての郷愁のような感情、決して戻ることのないその栄耀栄華への想いが、時空を超えてそのうち、わが国日本でも味わえることになるのかもしれない。

このように想像をたくましくして2025年の日本の状況を勝手に眺めてみると、なんだ か物悲しくなってしまうが、来年の日本が少しでも明るく前向きになるよう、期待も込めて政権にエールを送るとすると、唯一無二の突破口は、地方創生である。

その理由は大別して2つある。

一つは、明治維新の時も、戦後の高度成長も、日本の躍進を支えたのは各地であり、2025年もそうだが、日本の突破口・フロンティアは常に各地にあると考えるからである。明治維新は辺境にあった薩長両藩からはじまり、戦後日本を支えた製造業の多くは、豊田市のトヨタ自動車にしても、浜松市発祥のホンダにしても、常滑出身の盛田昭夫氏のソニーにしても、各地のリーダー(始動者)たちが世界企業に育て上げた。