このような政治に多くの市民は嫌気を感じ、新しい政治を求めるようになっていた。特に、若者は幼少の頃から価格が毎日のように変わる政治を変える必要があると感じていた。そのような中で彗星のごとく登場したのが、変人ハビエル・ミレイ氏であった。
ミレイ氏が強調していたのは100年前のアルゼンチンは世界で経済大国であったということである。アルゼンチンの国民一人当たりのGDPが1895年と1896年では世界No1であったということを強く訴え、そのような国家に戻ろうとではないかということを繰り返し述べていた。ヨーロッパ向けの食料の宝庫として発展したからである。また自然資源が豊富であるから、これから外国からの投資も寄せて資源の開発も可能となる。
またミレイ氏がよく語っていたのは、キルチネール派の社会主義政権は国民の為の政治をすると言って補助金を多く支給した。しかし、その補助金は刷った紙幣から回され、またそこから多くの賄賂のバラマキが実施されていた。その影響で国家経済を毎年潰している、ということを繰り返し国民に指摘した。
そしてミレイ氏が主張したのは財政の健全化、公共企業の民営化、あらゆる分野の規制撤廃、経済に柔軟性を持たせるといった自由経済であった。そして、公的通貨を米ドル化し、中央銀行の廃止といったようなことを訴えていた。そうすることによって高騰インフレからも解放されるとした。
ミレイ大統領は先ず最初に取り組んだのが財政の均衡と歳出の削減。その為に公務員の大幅な削減、新札を刷ることを中止、公的企業の民営化などである。
ミレイ氏の政党「自由ある前進」の議員は下院257議席の内の40議席、上院70議席の内の7議席で全くの孤軍でしかない。
しかし、彼が常に口にしているのは、ユダヤの歴史書「マカバイ記」であった。その中で「戦争の勝利は兵士の数ではない。天から下される力によるものだ」という教えである。だから上下院で彼の政党の議員が少なくても、彼が立てる政策がアルゼンチンの再興に有益な物であれば野党議員でも説得できるという自信をミレイ氏はもっている。