バッハ監修の楽譜を、ずっと後世の神童グールドが演奏したわけが、今度はその演奏をどなたかが採譜したものが発売されている。

ややこしい話だ。それはバッハの曲である前に(グールド本人は採譜にも刊行にも一切関与していなかったようだが)もはや彼の楽譜なのである。

なるほどショパンの楽譜についても、本人が最終チェックした「正規版」と、彼が弟子たちに自分の曲の演奏を指導した際の書き込みをもとに後世の音楽学者たちが整えた「解釈版」の、二系統がある。

しかしこれは、ショパンの演奏録音が残されていないからだ。当時は録音と再生のテクノロジーが影も形も、そもそも夢想すらされていなかった時代ゆえに、後世の私たちは、永遠に「正しい」ショパンを追い続ける。

一方、グールドは生演奏を嫌った。代わりに大量の録音演奏を残した。彼は作曲家でもあったが、ブラームスの亜流に終わった。

夏目漱石の「草枕」(の英訳)を生涯のバイブルにしたという、この孤高のピアニストが亡くなったのは、奇しくも坂本が映画「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラック制作のためにスタジオにこもり切りとなる、一か月前のことである。

「戦メリ」(昭和版)はどうだろう

その翌年、映画公開と共に発売されたピアノ楽譜集『Avec Piano』を見ると、シンセのように音を多重多層的に重ねていく音作りはピアノそれもソロ演奏では不可能は承知のうえで、それをピアノ鍵盤に翻案するにはどうしたらいいかという難題を、エリック・サティの書法で答えていくチャレンジだったように思える。

電話対談集『長電話』のなかで彼は「演奏録音終了後、採譜はひとにやってもらったんだけどまるでだめで、しょうがないので自分で一からやっていった。即興演奏的なものを、いちいち音符にくそまじめに書き留めていくのは少々虚しかった」の意の発言を残している。

あの「戦メリ」楽譜は、演奏のほうが先で、あの楽譜じたいは、自分自身の演奏を、最新録音技術ではなく五線譜というオールドテクノロジーでどこまで正確に書き残せるかという、時代倒錯的(そして彼にとってはきっとポスト・グールド)なチャレンジでもあったのかもしれない。

平成16年の「戦メリ」