しかし、三つ目の小節をよく見ると、今の私たちが知っているのとは少し違う。

♪ レミレドラ~

このスケッチの続きを追っていくと、例の間奏部が現れる。

♪ラソラソーラ、ラ

♪ レミレドラ~ で終わる旋律が二回繰り返されて、間奏部(青の部分)にバトンがわたる…

弾いてみるとわかるが、完成版に比べると流れが良くない。

作曲者もそう思ったのか、その後のスケッチでは旋律の一周目では締めが ♪レミレラド~、二周目で ♪ レミレドラ~ になるよう整えられている。

今の私たちが知っている、あの旋律だ。

そういえば ♪ド、シソミ~ もこのとき現れている。

最初のスケッチでは「B♭」のコードネームがぽつんとあるのみ。つまり、このスケッチその2で旋律が付いたのだ。

「朝起きてピアノに向かったらそこにもう曲があった」(私のうろ覚えによる彼の発言引用)というのは、少々話を盛っているように思われる。

実際は音を鳴らしながら、試行錯誤もしていたのだから。

※ 作曲スケッチはいずれも『坂本龍一の音楽』(山下邦彦/東京書籍)の「戦メリ」章より引用

メモのなかに全曲がある

これがスケッチその3。ひととおりできあがり。

ここから先は、銀座一等地の音響スタジオでアナログ・シンセのつまみをいじりながら音色を調合し、上のスケッチを除けば何も参照しないで、多重録音で曲に仕上げていったものと思われる。

映画音楽は、スタジオで録音するにあたって譜面を完全用意するものなのだが、彼は「戦メリ」でそういうことはしないで、シンセ機材をパレットにして絵の具ならぬ音色作りに時間を費やした。

面白いとは思わないだろうか。オリジンと呼べるものがないまま作曲されたものが、後に作曲者そのひとによって(ピアノカヴァー版として)楽譜が用意されて、今ではそれがオリジン扱いなのだから。

グールドが亡くなった後

バッハが殿様のために、その不眠症をなだめる曲を作って、それはもともと二段式鍵盤のチェンバロで弾く曲だったのを、カナダの天才肌ピアノ奏者グレン・グールド(1932〜1982)がピアノ(つまり一段式鍵盤)による新解釈で弾きこなしたレコードが大評判になったという逸話は、クラシック愛好者には定番の小ネタである。