ただ、この「弥助」騒動は改めてじっくり考えてみる価値のある問題をはらんでいます。戦国末期にイエズス会の宣教師たちに連れられて黒人奴隷が日本にも来たこと自体に疑問の余地はありません。それは、次のような絵がいくつか残されていることからも確認できます。
この時期のイエズス会宣教師たちは確実に奴隷売買にも手を染めていて、黒人奴隷を日本に連れてきただけではなく、日本人を奴隷として買い入れて東南アジアなどで売り飛ばしていたことも、きちんとした文献に記されています。
このことを知った豊臣秀吉がイエズス会宣教師を詰問すると「売る人間がいるから買ったまでだ。悪いと思えば、自国の人間を売り飛ばすほうを取り締まれ」と木で鼻をくくったような答えをしたために、秀吉が激怒し「切支丹禁止令」を出したのもよく知られた話です。
しかし、弥助騒動に便乗したヨーロッパ人の中には「黒人を奴隷として使役しはじめたのは日本人だ」といった暴論を吐く人間まで現れて、一時はかなり論争が盛り上がりました。そのへんは、自分たちが犯した悪事は全部自分たち以外の人種のせいにするヨーロッパ白人の悪癖が出ただけで済みます。
ですが、今を去ること16年も前の2008年から、アカデミズムの世界で「黒人が日本史に果たした役割はもっとはるかに起源が古く、また大きかった」という主張が堂々とまかり通っていたとなると、話は違ってきます。
「黒人たちは遅くとも8世紀ごろから日本で活躍していたのに、日本人は白人崇拝からこうした黒人の存在を意図的に無視してニセの歴史をでっちあげてきた」という論文が『京都大学学術情報リポジトリKURENAI紅』の2008年3月号に掲載されていたのです。
その「Excluded Presence: Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan’s Encounters with the Black Other(排除された存在――将軍、旅芸人、護衛、そして日本の黒い他者との出会い)」と題された論文の著者はジョン・G・ラッセルという人です。