(5)「定常化戦略」と「強靭化戦力」

むしろ(4)は、すべてが(5)に含まれていると見た方がいいように思われる。「定常化戦略」とは「人口定常化を目標とする」であり、「強靭化戦力は質的な強靭化を図り、・・・・・・多様性に富んだ成長力のある社会を構築する」(『人口ビジョン2100』:3)であるとされたからである。

ただし、(4)と同じ文章が(5)にも登場したうえに、「強靭化戦力」の定義に質的な「強靭化」を使うなど、論旨に乱れがある。

(6)今こそ総合的な「国家ビジョン」を

これもまた当然のことであり、目新しい内容とは言えない。それを図5では「生活安定」と「未来展望」という「媒介変数」を入れて表現したことがある(金子、2023b:117)。

図5 少子化対策の因果ダイヤグラム出典:(金子、2023b:117)

「国家ビジョン」としての「社会資本主義」の提唱

これに加えて、総合的な「国家ビジョン」の一つとして私は「社会資本主義」を造語した。これは2023年に新しく提唱した「社会構想」であり、過去を基盤としつつも、むしろ現在流行している「資本主義の終焉」論から未来への展望が柱になる。

「未来像について考えることは、ある構想の仕方を新しい名前のもとに復活させる」(アーリ、2016-2019:25)ために、この用語を作り上げたことになる。

文章化すれば以下のような表現になる(金子、2023a:368)。

「脱成長」論を越えた「社会資本主義」は、新しい資本主義として「生活の質」を支える「社会的共通資本」と治山治水を優先し、国民が持つ「社会関係資本」を豊かにする。合わせて子ども真ん中の政策により、義務教育・高等教育を通じて一人一人の「人間文化資本」を育てる。「社会資本主義」はこれら三資本を融合した理念をもち、全世代の生活安定と未来展望を可能とし、経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な開放型社会づくりを創造する。

これらを主題にした現段階での社会調査はできないために、ミクロな身辺の小さな事象と、公的資料に垣間見えるマクロな将来像の大型画面が共存する叙述となった。

ともかくも、「資本」概念として社会学でもすでに共有された「社会的共通資本」「社会関係資本」「人間文化資本」をいかに活用して「経済資本」につなげ、将来像としての「社会構想」を行い、速やかに実践に移すかが課題になる。

国家ビジョンへの三つの課題

『ビジョン2100』では、

国民の意識共有
若者、特に女性の最重視
世代間の継承と・連帯と「共同養育社会」

が重点的に並べられた。

まず「1. 国民の意識共有」では、「人口減少のスピード」が速いために「果てしない縮小と撤退」が危惧され、「人口減少が引き起こす構造」的問題として「『超高齢化』と『地方消滅』」があげられた。

前者では、社会も個人も「選択の幅」が狭隘になることへの認識が強調され、後者では、「超高齢化」に伴う世代間格差と世代間対立の深刻化の緩和と、人口減少における「地域格差」による「地方消滅」が取り上げられた。

「2. 若者、特に女性の最重視」ではいくつかのグラフを使って、「若者、女性が希望を持てなくなっている」、「若者世代の結婚や子どもを持つ意欲が低下した」ことの現状分析がなされた。主な原因としては、所得に代表される「経済的格差」に加えて、「子どもを持つことがリスク、負担」になるという現状が示された。

これらはいわば「昭和のライフスタイル」であり、この見直しが不可欠で、それには企業の「トップダウン」による「決断と実行」が必要と結ばれた(『ビジョン2100』:7-10)。

世代間の継承・連帯と「共同養育社会」

「子育て共同参画社会」論を30年前から提唱してきた私は、1と2はもちろんだが、特に「共同養育社会」に関心を持たざるを得ない。

まずこの定義は、「世代間の継承という視点から見ても、母親一人が子育てを担うのではなく、父親はもちろん、家族や地域が共同で参加すること(共同養育)が重要であり、それが子育ての本来の姿ではないか」(同上:11)とされた。しかも、わざわざ合計特殊出生率が高い沖縄県を引き合いに出して、「地域全体で子育てをする意識が強いため」(同上:11)と注記した。

「地域」が「子育て」から30年間排除されてきた

この記述は、先ほどの「3. これまでの対応に欠けていたこと」として「ワークライフバランス(両立ライフ)支援」への反省が皆無であったことと符合する。なぜなら、この30年間の「ワーク」は職場、「ライフ」は家庭だったからである。

そこにはコミュニティという「地域社会」が欠落していた。この点に何の反省もなく、沖縄県の事例を使いながら、「共同養育」に「地域が共同で参加すること」が軸に据えられている。

この文脈への反省がまずは必要なのではないか。

未来選択社会の定常化戦略

しかしその後は「共同養育社会」ではなく、「未来選択社会」が多用されることになった。この意味は、下位概念としての「定常化戦略」と「強靭化戦略」を一体的に推進することで、「未来として選択し得る望ましい社会」となる(同上:12)。

これは、「人口減少のスピードを緩和させ、最終的に人口を安定させること」(同上:12)と同じ意味であり、これこそが「人口定常化」とされた。具体的には表3のように4つのシナリオが想定されてきた。

表3 「人口定常化」をめぐる4つのケース出典:『人口ビジョン2100』:14(注)国際医療福祉大・人口戦略研究所の独自試算

このうち『ビジョン2100』は、Bケース(8000万人)を2100年の総人口に位置づけている。他のたとえばAケースは、2040年のTFR(合計特殊出生率)を2.07に想定した点で、論外である。

2022年のそれが1.2566という日本新記録を作った年からわずか18年で、どのようなマジックがあっても2.07に達するとは考えられないからである。本文でも有効な方法論は明示されてはいない。

だからといって、Bケースの2060年のTFR(合計特殊出生率)を2.07にすることにも無理がある。図1で論じたように、2050年に向けて日本では「産める年齢の女性母集団の減少」が正確に予見できるからである。

2022年と2042年の「産める年齢の女性母集団の減少」の比較から

ここでデータの制約と計算の簡便さを考慮して、2022年と2042年の「産める年齢の女性母集団の減少」を比較してみよう。

表4は2022年10月現在の日本人女性0~49歳までの5歳階級別の実数である。

表4 日本人女性の5歳階級別の実数出典:総務省統計局「人口推計」(2022年10月1日現在)

「産める年齢の女性母集団」が500万人減少する

この段階での「産める年齢の女性母集団」は、「15~19歳」から「44歳~49歳」までの合計で23,131,361人となる。未婚率や不妊などを考慮せずにいえば、単純にこの母集団から、2022年には約77万人が誕生したことになる。

一方、20年後の「産める年齢の女性母集団」は、現在の「0~4歳」が「20歳~24歳」になっていて、現在の「25~29歳」が20年後の「45~49歳」になる。ここでも全員が亡くならないと仮定して、20年後の母集団を計算すると、15,357,209人が得られる。ただし、注意しておきたいことは、20年後の「15~19歳」がこの合計からは抜けていることである。なぜなら、この層は現在まだ生まれていないからである。

そのため、データの整合性を図るために、2022年の合計から「15~19歳」の数を削除すると、20,494,294人となる。2042年の母集団とは5,137,085人の差が生じる。

要するに、20年後の「産める年齢の女性母集団」は現在よりも500万人も少なくなっていると予想できるのである。そのため本文とは異なり、Bケースも困難になると考えられる。

Cケースの予想

以上の判断で、『ビジョン2100』に準拠すれば、私の判断はDケースになる。その差はTFR(合計特殊出生率)の予想によるのだが、2022年でも全国平均こそ1.26だが、東京都が1.04、宮城県が1.09、北海道も1.12というように、DケースのTFR1.13を割り込んでいる都道県がすでに存在するからである。他にも埼玉県と神奈川県1.17、千葉県と秋田県では1.18になっていて、大都市圏も過疎地域を抱えた県でも同じようにTFRが下がってきているからである。

これらの多くでは、政令指定都市があるものの、それ以外のかなりな部分が過疎地域の指定を受けている。だから、過疎地だけではなく、政令市でも人口減少が始まっているのである。

以上の理由で、政府の『戦略』と人口戦略会議『ビジョン2100』とを見る限りでは、Cケースで想定された2100年のTFR1.36は考えにくい。

雇用の改善

なぜなら、「所得向上」と「雇用の改善」は「定常化戦略」でも強調される割には、具体策にあまりにも乏しいからである。「非正規雇用の正規化や雇用改善を実現すべきですし、国もそうした動きを支援していく必要があります(『ビジョン2100』:18)程度では、変革には届かないであろう。

これに関連して、私が少し実情を知っているのは大学の非常勤講師問題である。具体的にいえば、30歳前後まで学業に勤しみ、専門分野で博士学位を取得したにもかかわらず、大学や高専や研究所などの正規雇用の機会に恵まれず、いくつかの大学を掛け持ちせざるを得ない数万人の専門家がおられる。加えてその大半が、大学院時代の奨学金の返済や身分の不安定さに直面しながらの非正規雇用である。

これもまた、2013年の「改正労働契約法」の逆機能化の典型である。すなわち、その法律を使った「非常勤講師の雇い止め」が残っているのである。

人への投資がいう「人」は専門家ではないのか?

一方で、「人への投資」を強調する政府が作った法律により、博士学位を取得した専門家が冷遇されている実情に対して、その法律の見直しを行わないという現実もある。

これも「定常化戦略」にいう「多様なライフスタイルが選択できる社会づくり」なのだろうか。事例としてあげたような、「人への投資」の結果誕生した博士学位を持った専門家を冷遇するような「未来選択社会」を、国民は望むだろうか。

強靭化戦略

また『ビジョン2100』で重視されたのは、「定常化戦略」とともに「強靭化戦略」であった。しかしその定義からしてトートロジーに落ち込んでいる。

なぜなら、「質的に強靭化を図ることにより、多様性に富んだ成長力のある社会を構築していくのが、第二の強靭化戦略である」(『ビジョン2100』:12)。ある概念を定義する際に、定義される概念をそのまま使っているからである。『広辞苑』はこれを「定義上の虚偽」とする。

それはそうだろう。「強靭化」を説明するのに「強靭化」が使われたのだから、本来はここから先の議論はするまでもない。しかし、この先を考えるために、あげられている論点だけでも検討しておくことにする。そうすると、もっとはっきりさせるべき疑問点が浮かんでくるからである。