「待機児童の解消」は少子化が原因

(2)遅れを挽回するラストチャンス

政府『戦略』と同じく『ビジョン2100』でも、2030年までが「遅れを取り戻すラストチャンス」という認識にある。そのため過去10年間の「取り組み」を検討している。この方法しかないのだからこれはいいとして、その結果から何が導きだせたか。

過去10年どころか30年間、日本の「少子化対策」は「待機児童ゼロ」と「ワークライフバランス」(両立ライフ)支援を軸としてきたから、これを念頭において10年間の政策評価を見てみよう。

そうすると、「待機児童の解消」や「不妊治療の保険適用」など一定の効果をあげた施策はある」(『ビジョン2100』:1)が目に飛び込んでくる。

元来「少子化対策」は、出生数を下げないもしくは増やしていくために行われる政策の一環であるが、これまでの30年間の「待機児童の解消」政策はどのような効果があったのだろうか。とりわけ2016年から出生数100万人を割り込み続けてきた結果、現在では未曽有の人口危機が顕在化してしまった。すなわちそれは、出生数の維持や増大に効果があったわけではなさそうに思える。

だからむしろ論点は逆であり、「待機児童の解消」がうまく行ったのは、出生数が減少し続け、「少子化」が進んだこと、および保育所と認定こども園の定員増がみられたからではないか。論じられた因果関係が反対になっている。

比較の手法に旧弊が残る

さらに予算面での記述にも疑問が残る。具体的にいえば、2014年に当時の民間機関である「選択する未来」委員会が「少子化対策予算(家族関係支出)が他のOECD諸国に比べると低水準にあること」を『ビジョン2100』では問題視し、「2020年頃を目途に早期の倍増を目指す」(同上:2)とした文書を引き合いに出して、「家族関係支出対GDP比(2019年度)は1.7%で、スウェーデン(3.4%)の2分の1にとどまっています」(同上:2)と現状を批判している。

これは日本の福祉関連文献の旧弊の伝統が続いてきたことの証明である。なぜなら、表2で示すように、2023年12月の段階で使用できるデータは2019年度のそれではなく、2021年度のデータが使えるからである。そうすると、日本のその比率も2.46まで上がっていて、ドイツやフランスに迫る勢いを示していることが分かり、当然ながら説明の文章も変更されるはずである。

表2 家族関係社会支出の対GDP比率(2020年)出典:『令和3年度 社会保障費用統計 2021』社会保障人口問題研究所 2023:8.(注)金子が作表した。また、イギリスは、EUからの離脱に伴い、2019年度以降のデータソースが変更されている。2020年度からは「積極的労働市場政策」の数値が公表されていない。

比較研究の大原則

加えてもう一つの旧弊としてスウェーデンやフランスを持ち上げたはいいが、それらの国での所得税や消費税の高さには決して触れないという伝統も保持したままである。ちなみに消費税でいえば、日本の10%に対して、スウェーデンは25%、フランスは20%、ドイツでも19%である。国民負担率が違う国の社会システムを比較する際には、関連情報を示さないと大きな誤解が生じる危険性がある。

これら二点に象徴される旧弊から脱却しない限り、福祉面での比較社会研究は参考にならない(金子、2013 第1章 時代診断の比較社会学)。

(3)これまでの対応に欠けていたこと

ここでは三点が指摘されている。一つは、危機に至った人口減少の要因や対策について、「国民へ十分な情報共有を図ってこなかった」(『ビジョン2100』:2)ことである。その通りであるが、「共有しておきたい情報」の内容もまた重要なので、第四点目として後述する。

二点目は若者や女性の意識や実態を重視して、政策に反映させる姿勢が十分でなかったという反省が述べられた。これも同感だが、反映させられなかったものには数多くの「少子化」関連の学術研究成果もあることを付加しておこう。

第三には「現世代」には社会を「将来世代」に継承していく責任があるとしたことであり、これも総論としては正しい。

しかし一番の反省点は、過去30年間では理念抜きの政策メニューばかりが実行されてきたことにある。これを第四点としたい。

重点解題の政策メニュー

実際に『令和元年版 少子化社会対策白書』を使い、この問題をはっきりさせておこう。『白書』には重点課題として、

結婚や子育てしやすい環境となるよう、社会全体を見直し、これまで以上に対策を充実 個々人が結婚や子供についての希望を実現できる社会をつくる 結婚、妊娠、出産、子育ての各段階に応じた切れ目のない取組をする 今後5年間を「集中取組期間」と位置づけ、5つの重点課題を設定し、政策を効果的かつ集中的に投入 長期展望に立って、子供への資源配分を大胆に拡充する

が挙げられていた(同上:58)。

しかし白書のどこにも、「少子化対策とは何か」や「少子化対策の目指す方向は何か」がはっきりとは記されてはいなかった。

判然としにくい「社会全体」

たとえば、1では各人各様の「結婚や子育てしやすい環境」のイメージがつかめないし、「社会全体」も使われてはいるが、無内容なままである。子育てする者とそれをしない者、子育て中の人とそれを終えた人もすべて「社会全体」に含まれるのかどうかが判然としなかった。

同時に「個々人が結婚や子供についての希望を実現できる社会」もつかみどころがない。たとえば男性・大卒・30歳代・会社員と女性・大卒・30歳代・会社員でも、「希望」が同じとは限らない。ましてや学歴が違い、年齢差があり、雇用形態が異なれば、「希望」はますます一つには収斂しにくくなる。政策的な「収斂」が可能として、その方法は何か。

恣意的な解釈を許す

とりわけ5「子供への資源配分を大胆に拡充する」が、長年にわたり少子化対策の逆機能化を進めた注4)。なぜなら、政策予算での「大胆な拡充」を各省庁が「大胆」に勝手な解釈をして、国民の常識からすると「少子化対策」からは逸脱したような政策にまで、多額の予算がつけられた30年が続いてきたからである。

この「大胆な拡充」の伝統は令和の今日まで認められるが、そこからは「これまで欠けていたこと」として、30年間当然だとされてきた「通常次元」の諸事業の見直しも欲しくなるが、『ビジョン2100』では何も触れられていない。

「通常次元」を取捨選択して「異次元性」に踏み込む

この問題にこだわるのは、30年間の少子化対策の歴史では、現今の話題の焦点である「児童手当」や「育児休業給付」だけではなく、「子育て」事業として「大胆に拡充」された施策・事業も少なくなかったからである注5)。

たとえばその一端を掲げてみよう。『令和元年版 少子化社会対策白書』では、厚労省「ジョブカード制度」、厚労省・国土交通省「テレワーク普及促進対策事業」、厚労省「たばこ対策促進事業」、文科省「国立女性教育会館運営交付金」、文科省「学習指導要領等の編集改訂等」、農水省「都市農村共生・対流及び地域活性化対策」、国土交通省「官庁施設のバリアフリー化の推進」、「鉄道駅におけるバリアフリー化の推進」、厚労省「シルバー人材センター事業」などの諸事業も「少子化対策関係予算」とされていた(同上:170-184)。

これらは「少子化反転」に寄与できる事業なのか。そうではあるまい。

かなり恣意的で大胆な想像力を駆使しても、これらを「少子化対策」に含めることは困難である。その意味では、これら施策・事業の所管府省と予算を認めた財務省、そして国会審議で予算案を可決した与野党ともに、「通常次元」の少子化対策認識に甘さがあったことが指摘できる。

この感覚で、防衛費とほぼ同額の5兆円(令和元年度予算)を毎年使ってきたのだから、30年間の少子化対策の失敗が語られるのも仕方がない。

以上の四点を「正面から問いかける」器量を与野党の政治家、関連省庁の官僚、マスコミが持てるかどうかが問われる注6)。

(4)安定的で、成長力のある「8000万人国家」を目指す

これには2100年を視野に据えて、総人口を「8000万人で安定化させる」こと、および「多様性に富んだ成長力のある社会を構築する」ことが含まれている。ただし、『ビジョン2100』概要版でも本篇でもこれ以上の詳しい内容は見当たらない。