大島決定でも言及した袴田氏の取調べの録音テープ
前述したとおり、大島決定においては、「5点の衣類のねつ造可能性についての新旧証拠の総合評価」以外に、弁護人の「その他の新証拠」に対して個別に判断している。その中にも、「捜査機関による5点の衣類の捏造の可能性」に関する重要な事実が含まれている。
そのうちの一つが、村山決定後に検察官が弁護人に証拠開示した袴田氏の取調べの録音テープ及び同反訳書に基づいて弁護人が「新証拠」として提出した供述心理学鑑定書に関する以下の大島決定の記述である。
自白の初期段階で,犯行着衣がパジャマであると信じている捜査官に対し,袴田が,被害者宅に侵入する際,最初は,雨合羽を着て,その下はシャツと黒色のズボンを着用していて(ちなみに,5点の衣類が発見された当日に鉄紺色ズボンを見分した警察官は,それを「黒色ようズボン」と表現している。),パジャマに着替えたのは後である旨供述していること等の評価についても何ら触れるところはない。
これは、供述心理鑑定の信用性を否定することに関する判示であるが、ここで言及している録音テープに記録されている袴田供述は、「警察による5点の衣類の捏造の可能性」を判断する上で極めて重要な事実である。
マスコミの取材を受けた関係で入手した今回の再審での検察官の冒頭陳述の中の【弁護人の主張に対する反論】の《第1「被告人の自白から被告人の無実が証明される」との弁護人の主張が誤りであること》の中で、上記の袴田氏の供述が、次のように引用されている(引用表記等は省略)。
被告人は、Bさんから、 強盗に見せ掛けた放火を依頼され、Aさん方に赴いた際、Bさんが被告人のためにテーブル上に置いておいた5万円入りの袋を持ち去ったと供述していました。 被告人は、Yから、その袋をどこのポケットに入れたのか尋ねられ、「ズボンです。」と返答し、Yから、パジャマではなかったのかと確認されると、「パジャマ、後です。」と供述しました。 被告人は、さらに、雨合羽を着てAさん方に行ったことを供述した後、Yから、雨合羽の下に何を着ていたかを尋ねられると、「シャツです。」と供述しました。 その後も被告人は、Yからの犯行着衣に関する質問に対し、「ズボンです。」と、改めてズボンを履いていたことを供述し、Yから、「どういうふうなズボン。」と尋ねられると、「黒の。」と供述しました。なお、鉄紺色ズボンの色も、黒に近い色であり、被告人の母は、自宅から発見された共布について「黒っぽい色」と供述していました。
録音テープという「袴田氏の生の音声」の中で、犯行着衣がパジャマであると信じている捜査官に対し、《被害者宅に侵入する際,最初は,雨合羽を着て,その下はシャツと黒色のズボンを着用していて,パジャマに着替えたのは後である》旨述べており、その供述は、その約1年後に味噌樽の底から5点の衣類が発見されたことに伴って検察官が立証方針を変更した後の「ストーリー」と一致していたことになる。
その袴田供述が、供述時点以降、警察内部でどのように認識され、その情報が取り扱われていたかによって、この袴田供述の意味は大きく異なる。
もし、捜査官が、袴田供述は警察のストーリーには合わないと考えて、そのまま、「黙殺し、無視していた」のであれば、その1年後に味噌樽の底から5点の衣類が発見され、それが袴田供述と符合するというのは、偶然とは考えられない。袴田氏の自白が真実であったことを裏付ける重要な証拠ということになる。
一方、もし、「雨合羽、シャツ、黒色ズボンを着用」という袴田供述の内容には何らかの意味があると考えていたとすると、それが警察による5点の衣類の捏造の「元情報」となり、それに合わせて5点の衣類が捏造された可能性も否定はできないことになる(ただ、その場合、なぜ、その録音テープが証拠として使われなかったのか、という疑問は残る)。
大島決定が、「5点の衣類のねつ造可能性についての新旧証拠の総合評価」のほか「その他の新証拠」についての評価の中で、5点の衣類のねつ造可能性について、相当詳細で緻密な検討を行っていることに加え、上記の録音テープの「雨合羽、シャツ、黒色ズボンを着用」の袴田供述も含めると、「5点の衣類の捏造の可能性」が否定される方向に傾く可能性が高いように思える。
再審での弁護人の「事件の内容」自体についての主張一方で、これまでの再審請求審ではあまり争点にならなかった、そもそもの「事件の内容」について、弁護側が、再審第2回公判での「全体冒頭陳述」で主張した内容には相当な説得力がある。
弁護人は、本件は、検察官が主張する「住居侵入、被害者4人の強盗殺人、放火事件」ではなく、「犯人は一人ではなく複数の外部の者であって、動機は強盗ではなく怨恨でした。また、犯人たちは、午前1時過ぎの深夜侵入したのではなく、被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいたのです。そして、4人を殺害して放火した後、表シャッターから逃げて行った」と主張している。
その理由として、以下のような指摘を行っている。
互いに隣の家の中の物音も聞こえるような状況だった。隣から悲鳴があがれば、寝ていてもすぐにわかったはず 犯人が1人であったとすれば、凶器は刃物なので、4人を1人1人順に殺害していったことになる。しかも、一突きで殺された被害者はおらず、全員に多数の刃物による傷があった。藤雄さんは柔道2段の屈強な男性だった。簡単に4人を殺害できたとは思えない 犯人が一人であれば、4人の悲鳴や叫び声や逃げまどう声が飛び交い、物を投げたり物を使って反撃するような大混乱が,しかも相当の時間続いたはずであり、そうであれば、隣人たちは、すぐに気が付くはずだが、逃げ出した人はいなかったし、被害者宅からは、まったく物音が聞こえなかった。 各被害者らの傷は、4人とも胸、右胸あるいは背中など一定範囲のところにほとんど集中しており、被害者らは刃物で傷つけられても誰も動かず逃げ回ったりしておらず、被害者らの手足や腕には刃物による傷がほとんどない。被害者らは、4人とも声も上げられない状況で、もちろん逃げることも反撃することもできないような状況で殺害された。犯人が4人の被害者と同数以上いたか、それとも、犯人が複数で、被害者らを動けないようにし、声も上げられないようにした状況下で、殺害行為が行われた 検察官は、被害者4人が寝静まった深夜1時過ぎに犯人が侵入してきたと主張しているが、被害者宅に入ったとき、被害者らが起きていたことは、わずかに焼け残った被害者の所持品等から裏付けられる。 事件前、被害者宅の店舗部分の土間の机の上に、電話機が置かれていたが、電話機は、接続端子ごとコードが引き抜かれており、通話ができなくなっていた。これは、被害者宅に入り込んだ犯人らが被害者らに外部との連絡を取らせないようにしたものと考えられる。検察官は、冒頭陳述で、再審請求審での弁護人の主張を踏まえて、弁護人の主張を想定した反論を行っているが、上記のような「事件の内容」自体についての弁護人の主張に対する具体的な反論は、少なくとも冒頭陳述では行われていない。
間もなく行われる論告の中で、その点について詳細な反論が行われることになるのであろうが、もし、この点についての弁護人の主張に有効な反論ができないとすると、前記の「第1ステージの証拠捏造の可能性」を浮上させることになる。
事件発生の数時間後に現場の遺留物等について証拠を捏造したというのは、犯人像もわからない警察の初動捜査の時点の行動としてあり得ない、というのが検察官の主張だが、上記のように「事件の内容」自体が弁護人の主張のとおりであったとすると、警察が、事件発生当初から味噌製造会社の内部者の犯行であるかのように見せかけて、内部者犯行に限定する捜査の方向性を決めていて、それによって真犯人を隠蔽しようとしたということになる。
そうであれば、警察は、事件の発生自体を事前に認識していた可能性もあり、警察による組織的な犯罪への関わりの疑いも否定できないということになる。
そのような警察の犯罪や真犯人隠蔽が行われたこと前提に考えると、第2ステージでの袴田氏の自白の裏付けとしての証拠捏造はもちろん、第3ステージの「5点の衣類についての組織的かつ大規模な証拠捏造」もあり得ないわけではないということになる。