第2次再審請求審の各決定の「証拠捏造」についての判断
村山決定では、「5点の衣類」についての「味噌漬け実験報告書」が「無罪を言い渡すべき新規明白な証拠」とされる一方、「5点の衣類」が捜査機関によって捏造された可能性について次のように判示した。
警察は、人権を顧みることなく、袴田を犯人として厳しく追及する姿勢が顕著であるから、5点の衣類のねつ造が行われたとしても特段不自然とはいえず、公判において袴田が否認に転じたことを受けて、新たに証拠を作り上げたとしても、全く想像できないことではなく、もはや可能性としては否定できない。
これに対して、検察官が即時抗告し、3年半にわたる審理において、弁護人は、村山決定が、「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と認めた「DNA鑑定」と「味噌漬け実験報告書」のほかに多数の「新証拠」の主張を行った。その多くは、5点の衣類について「被告人が事件直後に味噌樽の底に隠匿した可能性」(この可能性の否定は袴田氏の犯人性の否定につながる)、「捜査機関が捏造した可能性」(その可能性の否定は、袴田氏の犯人性の肯定につながる)に関連するものであった。
大島決定は、網羅的に判断を行い、これらのすべてについて「無罪を言い渡すべき新証拠」に当たらないとの判断を示した。その中に、「捜査機関による証拠捏造」の可能性についても重要な事実が含まれている。
特に重要なのが、確定判決において5点の衣類の中の「鉄紺色のズボン」が被告人のものであることを裏付け、「捜査機関が捏造した可能性」を否定する有力な証拠とされた「ズボンの端布」についての判断である。弁護人はいくつかの「新証拠」を提出し、端布を警察官がねつ造した可能性を主張していたが,大島決定は、「端布がねつ造されたとの指摘は抽象的な可能性の域を超えない」と判示した。
そして、自白追及の厳しさと証拠のねつ造の可能性の関係について、
これまでしばしば刑事裁判で自白の任意性が問題となってきたように、否認している被疑者に対して厳しく自白を迫ることは往々にしてあることであって、それが、捜査手法として許される範囲を超えるようなことがあったとしても、他にねつ造をしたことをうかがわせるような具体的な根拠もないのに、そのような被疑者の取調方法を用いる捜査当局は、それ自体犯罪行為となるような証拠のねつ造をも行う傾向があるなどということはできず、そのような経験則があるとも認め難い。しかも、そのねつ造したとされる証拠が、捜査当局が押し付けたと主張されている自白のストーリーにはそぐわないものであれば、なおさらである。
として、「自白追及の厳しさ」と「証拠の捏造の可能性」を結びつけることは相当ではないとした。
そして、さらに、「5点の衣類のねつ造可能性についての新旧証拠の総合評価」について
第1次再審,第2次再審で提出された個別には証明力の弱い新証拠を旧証拠に加えて総合的に評価した場合に,5点の衣類は,犯人の着衣であり,かつ,袴田のものであることについて合理的な疑いを生じさせ,ひいては,袴田が犯人であるとした確定判決の認定に合理的な疑いが生じる余地が全くないかを念のため検討することとする。
と述べて、まず、捜査機関による5点の衣類のねつ造が行われたとした場合の時期について,「1号タンクに大量の味噌が仕込まれている昭和41年7月20日から昭和42年7月25日までの間」については、
捜査機関が,1号タンクの味噌を掘り出した上で底部から約3.5cmの場所に5点の衣類が入った麻袋を隠匿することは,ほぼ物理的に不可能であり、事件が発生した昭和41年6月30日から同年7月20日までの間は,捜査機関は,未だ袴田を逮捕しておらず,血痕が付着した袴田のパジャマを押収して解析を進めるなどして,犯行着衣としてはパジャマを想定していたことがうかがわれるのであるから,同時期に,5点の衣類を犯行着衣としてねつ造する可能性を想定することもおよそ非現実的である
として、捏造が行われた可能性は「昭和42年7月25日に1号タンクから味噌の取り出しが始まった後」に限定されるとし、この期間に5点の衣類をねつ造した可能性を検討している。
その検討の結果について,以下のように判示している。
袴田の衣類は,昭和41年9月下旬にはA商店の寮から実家にすべて送り返されているため,捜査機関が,袴田の衣類を入手してねつ造工作を行うことは想定し難い。また,袴田の衣類に類似した衣類を入手してねつ造するにしても,〔1〕鉄紺色ズボンについては,B洋服店で2年近く在庫として存在し(第2次再審で弁護人から提出された新証拠によれば,同ズボンは,Cが,昭和39年に製造し,同社からB洋服店に対して,昭和39年12月21日から昭和40年9月10日までに出荷したものであると認められる。),同店で裾上げをしてもらったものを入手し,〔2〕緑色パンツについては,昭和41年8月8日以前にDで製造されたものを入手し,〔3〕昭和42年7月25日から同年8月31日までの間に,E商店に赴き,麻袋に入れて1号タンクに埋めた上,〔4〕鉄紺色ズボンの端布を袴田の実家に隠匿することが必要となるはずである。 しかし,〔1〕及び〔2〕については,このようなことが可能となるような条件がたまたま揃うという事態は相当稀であって現実性が乏しいというべきである。また,〔3〕については,E商店側の協力を得ないまま,捜査機関のみでE商店工場内の1号タンクに赴き,勝手に味噌を掘り返して5点の衣類を隠匿するのは極めて困難である上,E商店側の協力者を想定すると,協力者が自社の製造する味噌の中に人血の浸み込んだ衣類を隠匿することになるところ,本件が稀に見る凶悪,重大な事件であることからすれば,犯行に関係ある着衣がタンクの中から新たに発見されたことが明らかになれば,味噌の売上減少等によるE商店の経済的な打撃は計り知れず,そうである以上,予めE商店側の者の協力を得ることも相当に困難というべきである(5点の衣類がいつの時点で発見されるかも正確には分からず,これを発見したE商店の従業員が営業への影響を考えてこっそり廃棄する可能性もあることからすれば,衣類の隠匿のみならず,発見時の通報についても事前に味噌の取出しを担当する者等の協力の約束をも得ておく必要があろう。)。加えて,〔4〕については,これをねつ造することが想定し難いことは,既に示したとおりである(前記の「端布を警察官がねつ造した可能性」についての判示[筆者注])。そうすると,そもそも,捜査機関が,5点の衣類をねつ造すること自体が極めて困難であるというべきである。
次に、捜査機関が5点の衣類のねつ造を行う動機について、
捜査機関は,袴田を逮捕した上で長時間に及ぶ取調べを行い,犯行時の着衣はパジャマであるとの自白を得たものであり,検察官も,第1審の第1回公判期日以降,犯行時の着衣がパジャマであるとする袴田の自白を立証の柱に据えて公判活動をしていたことが認められる。そのような中で,捜査機関が,自白に沿うような物証をねつ造する動機を有するというのであればともかく,袴田の自白に矛盾し,かつ,捜査機関の当初の見立てや,検察官の立証活動に反するような5点の衣類をわざわざねつ造するような動機は見出し難く,このような可能性を想定することはおよそ非現実的というほかない。 5点の衣類が発見されるまでの1審の審理経過に照らせば,ほぼ検察官の予定したどおりに立証活動が進められており,予想外の主張や証拠が出るなど,立証活動が難航していたという事情は見当たらない。仮に,そのまま検察官の立証を進めても,合理的な疑いを超える程度の立証ができるか不安があったとしても,立証の主要部分を占める自白のうち,決して軽視できない部分と明らかに矛盾する証拠をねつ造することは,自白の信用性に対する影響や協力者の側から事実が漏れる可能性を考えれば(所論のいうように,端布を生地のサンプルから作成したとしたら,その縫製についても協力者を必要とする。),メリットと比較してリスクが余りに大きく,証拠ねつ造の動機があったとはいい難い。
などと判示して、
5点の衣類が捜査機関によってねつ造された可能性をいう弁護人の所論は,現時点でも,特に根拠のない想像的,抽象的可能性の域にとどまっているというべき
と結論づけている。
大島決定に対して、弁護人が、最高裁に特別抗告し、2020年12月、最高裁は大島決定を取消し、東京高裁に差し戻した。
最高裁決定は、「村山決定はDNA鑑定の証拠価値の評価を誤った違法があるとした大島決定は、結論において正当である」としたが、「味噌漬け実験報告書」に関して、「メイラード反応の影響」についての審理不尽を指摘し、東京高裁に差し戻した。
そして、東京高裁に差し戻された袴田氏の再審請求について、2023年3月13日に出されたのが大善決定だった。同決定では、
5点の衣類が1年以上みそ漬けされていたことに合理的な疑いが生じており、5点の衣類については、事件から相当期間経過した後に、袴田以外の第三者が1号タンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できず(この第三者には捜査機関も含まれ、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる。)、袴田の犯人性の認定に重大な影響を及ぼす以上、到底袴田を本件の犯人と認定することはできず、それ以外の旧証拠で袴田の犯人性を認定できるものは見当たらない。
として、静岡地裁の再審開始決定に対する検察官の即時抗告を棄却し、袴田氏に対する再審開始を決定した。
「味噌漬け実験報告書」と警察の証拠捏造との関係前述したように、「味噌漬け実験報告書」によって、1年以上味噌漬けされた5点の衣類の血痕の赤みが残ることが否定され、味噌樽の底に入れられたのは、事件直後ではなく、発見時に近い時期だったことになると、5点の衣類を味噌樽の底に沈める行為を実際に行うのは、袴田氏を犯人だと断定し、有罪判決を受けさせようとしていた静岡県警しか考えられない。
つまり、大善決定の認定のとおりの「無罪判決」は、必然的に、捜査機関が、「血痕の付着した5点の衣類を味噌樽の底に沈める」という証拠捏造行為を行った、という判断につながることになる。
大島決定は、弁護人が主張した捏造の根拠について詳細に検討を加え、無関係の衣類を袴田氏の着衣のように偽って味噌樽の中から発見するという行為は、「過酷な取調べの末に得られていた袴田氏の自白とは全く矛盾する証拠を、発覚のリスクを冒して敢えてねつ造する」という、全く合理的ではない行動を警察組織が行ったことになる、として警察による証拠捏造の可能性を否定した。それは、「味噌漬け実験報告書」の証拠価値を事実上否定する意味もあったと思われる。
これに対して、最高裁決定は、このような「捜査機関による捏造の可能性」についての大島決定の判断には全く触れず、「メイラード反応の影響」についての審理不尽だけを指摘して審理を東京高裁に差戻し、大善決定は、5点の衣類については、「味噌漬け実験報告書」を「無罪を言い渡すべき新証拠」と判断し、事件から相当期間経過した後に、袴田以外の第三者が1号タンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できないとし、これについて「この第三者には捜査機関も含まれ、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる。」との判断を示した。
しかし、最高裁決定も大善決定も、大島決定の「5点の衣類の証拠捏造の可能性」を否定する判断に対しては、全く検討も判断も行っていない。
結局、捜査機関による証拠捏造の可能性については、村山決定の判断を覆し、証拠捏造を否定した大島決定が、現時点では裁判所としての最終的な判示になっている。
今回の再審でも、この点について、大島決定で示された判断をベースにしている検察官の主張立証と、弁護人の主張立証が対立する構図となっている。
再審裁判所の判断は、まずは、検察側が、「付着した血痕の色の赤みが残っていた5点の衣類が、1年以上味噌に浸かっていたとは考えられない」とした大善決定の判断を覆す立証ができるかどうかが、最大のポイントになる。
しかし、一方で、それと表裏一体の関係となる「警察による5点の衣類の捏造の可能性」も重要である。その可能性を否定する大島決定の判断を、弁護側が覆す主張立証ができるのかも、極めて重要な論点なのである。