哲学っぽく言えば、その人の実存自体が「ポストモダン化している」ことになるのかもですが、そんな迷惑な意味でだけポストモダンな大学は、そもそも私たちの社会に要りません(笑)。

本人にとっては「虫のいい変幻自在さ」を誇り、実際には「既存の権威による承認」に依存するのが大学の先生だけなら、笑って見ていてもよかったのですが、そうした人の煽る風潮が広がり、そこで止まれなくなってしまったのが、先日も採り上げたトランスジェンダリズムの問題でした。

僕は「性差を越境すること」で、既存の規範を撹乱したいとする欲求はアリだと思うんです。祝祭の日だけ男女が逆になる、みたいな慣行は世界各地にあるし、アートや音楽で実践する例も昔から珍しくありません。

しかし、それは「男・女なんて区分は超えてやるぜ!」とする態度だからこそ、秩序を相対化する力を持っているわけで。本人が「私は『100%の女性』なんです。だから男子とは区別された女子大に、女性だと公認してほしい」と制度化を求めてしまっては、抵抗の形としてダメなのではないですか。

対談145頁(與那覇発言)

権威に阿らない掲載誌の個性を活かし、問題を根底まで掘り下げる対談になったと思っております! 多くの方が手に取ってくだされば幸甚です。

参考記事: 1つめは柴田英里さんのnoteより