そうしたカン違い学者を批判する本として、『テニュアを持った過激派: いかに政治が高等教育を腐敗させたか』(1990年)みたいな本が、アメリカではトランプ現象のだいぶ前から出ていたようですが、文中に張られてたリンク先のブログに、懐かしい名前を見つけました。
タイトルはカミール・パーリアが『セックス、アート、アメリカンカルチャー』(野中邦子 訳、河出書房新社)の中で言及していた、ロジャー・キンボール/Roger Kimball の著書より。大学に巣食う、高給取りで安定した地位を得ている左翼学者を批判したものだ。
強調は引用者
カミール・パーリア! ちょうど仕事で、森まゆみさんの書評集『深夜快読』(1998年)にあたったら、まさしく『セックス、アート、……』も採り上げられていました。原著は1992年、邦訳95年。
パーリア自身は大学でも教えたわけですが、在野のフェミニスト歴史家でもある森さんの紹介によれば、こんな感じの人で――。
いわく、「近ごろのフェミニストはすっかり保守主義に毒され、ヒステリックなモラリズムとお上品ぶったポーズへと逆行している」。 (中 略) いわく、「リベラルと保守派という二項対立はもはや成り立たない。リベラルを批判すると保守派のレッテルを貼られるが、一番保守的なのはかつてのリベラルではないか」。パーリアは自由意思尊重派である。中絶、男色、ポルノ、ドラッグの使用、自殺、すべて個人の自由意思にまかされるべきだという。 大学人批判も厳しい。いわく、わが世代〔47年生なので、日本でいう団塊の世代〕のユニークで大胆な人々は大学院に進まず「その結果、わが国の一流大学には、いまや立身出世に汲々となる凡庸な50年代タイプが群れをなしている」。教条的マルクス主義者はアメリカで一番のスノッブで、フェミニストの旦那はおおむねへなちょこ本の虫だとバッサリ。うーむ、ここまでいっていいのか。