『深夜快読』97-98頁 算用数字に改定
まさに、「ここまでいっていいのか」。まだまだ私の(たとえば)歴史学者批判は手ぬるかったなぁと、本場のフェミニズムに触れて再認識しましたが、この箇所だけでもすでに、大学教員の「頭をおかしくする」しくみの根本が描かれています。
「大学に属している」ことを根拠に、自分の発言には価値があるんだゾと主張する時点で、その人は公認された既存の権威に乗っかっているのだから、最も通俗的な意味で「保守的」なんですよね。最近は「SNSでこんなにフォローされてる」ことも理由に挙げるタイプが増えましたが、それは体制順応に大勢順応が加わっただけですから、ますます保守的。
そうした場合に大事なのは、自分の中にもそうした「保守性への依存」があるんだな、と自覚して物を言うことです。ところがフェミニズムに限らず、社会の現状に対して「革新的な立場」を自分の売りにしていると、なかなかそれができない。
で、ここまで大胆なことを言ってる私が「悪しき保守性に染まっているはずがないでしょ!」とPRするために、常識も良識も無視、議論のマナーとかシラネ、な態度になってゆく。心底では臆病な人ほど、イキってチキンランから降りられなくなっちゃうのと、ちょうど同じなんですな。
ふだんは散々他人を攻撃し、「こんなに私は強い!」とアピールして支持を得ているのに、なにかあると都合よく「私は弱者、被害者」とキャラクターを180度反転させる人が多いのも、同じ理由で説明がつきますよね。つまり、自分の姿に向きあわないためのパフォーマンスが常態化してるから、やってることが一貫せずイミフになる。