ときに「幻想上のクマを護るために、現実の人々を殺す」に等しい暴論さえ、もっともらしく正当化してしまう「やさしさ」への狂信、事実上の「免罪符」こそが、あらゆる社会問題をより解決困難へと複雑化・」長期化させてきたのではないか。
何者かを「被害者」に見立て、それに対立する者は悪だとする独善的正義感。このような行動の傾向を本書では、キャンベルとマニングの論文とその著作にある“Victimhood Culture”を引いて「被害者文化」と呼んでいます。
熊駆除の話に置き換えれば、クマを「被害者」として、自身はクマ駆除をする悪人に反対する「やさしい人」だと思い込み、正義感に塗れて他者を攻撃するということ。
何が「被害」なのかは、その人物の感情によると分析されています。
自分たちの「繊細な」感情こそが最も重要な関心事であるため、個人的な「快・不快」と公共の「善悪」がそのまま同一視されやすい。その結果、単なる個人的な嫌悪や不快の対象に過ぎない言説や存在を「加害者」扱いしたり、些細なきっかけやその日の気分次第で、新たな問題をいとも簡単に「発見」あるいは「開発」し、助けを受けるにふさわしい「被害者」「犠牲者」を次々と創作することさえ可能になる。
当然、それらに対応して「解決」を担うべき「社会正義」も比例して増えていく…たとえば2007年に米国の心理学者デラルド・ウィン・スーによって再定義された「マイクロアグレッション」の概念などは極めて象徴的と言える。
クマ駆除に対する悪質な誹謗中傷・デマによる風評加害行為には、こうした心性が蔓延している社会的な背景があるのではないか。本書はそれに対抗するための試みが示されています。
1: 2:1時間12分過ぎからクマに関するクレーム⇒;schedule_id=5&playlist_id=103&speaker_id=0&target_year=2024 3:『「やさしさ」の免罪符』 脚注・参考資料集: 晴川雨読 はじめに2 4:『「やさしさ」の免罪符』 脚注・参考資料集: 晴川雨読 はじめに3 5:『「やさしさ」の免罪符』 脚注・参考資料集: 晴川雨読 はじめに13