この「非日常性」こそ、女相撲が見世物として成立する鍵であったのでしょう。
女性への畏怖や活発さを容認する風潮があった江戸時代
それでは江戸の町人文化の中、見世物女相撲が如何なる文脈で受け入れられたのでしょうか。
それを理解するには、相撲とジェンダーの関係、さらには当時の女性観を深く探らねばなりません。
まず、「力」を巡る話です。相撲という競技が象徴する物理的な力、霊的な力、いずれも女性のそれは男性のものとは異なる位置付けにありました。
物理的な力について言えば、女性が持つ怪力伝説は時に説話や伝承の形で記録されています。
例えば、川から船を引き上げる女性、百人が動かせぬ石を一人で動かす女性――これらの話には、単なる怪力の逸話以上の意味が隠されています。
女性の「霊力」は、かつては祭祀や祈祷の主役だった女性が持つ神聖な力として信じられました。
江戸時代には、月経や出産の血が穢れとされる一方で、こうした生命を司る力への畏怖が残されていたのです。
この「見えざる力」は、女力士が土俵上で見せる力に何らかの神聖な裏打ちを与え、観客に一種の畏敬を抱かせたかもしれません。
一方で、江戸時代の女性は単なる従順な存在ではありませんでした。
特に江戸という都市では、「張り」「いき」「伊達」といった価値観が女性の活発さを肯定する風潮を育んでいました。
「きんぴら」や「おちゃっぴい」といった言葉が、当時の威勢のいい女性を指して使われたのも頷けます。
これらの娘たちは、お転婆でありながら、どこか恥じらいを残した可憐さを持つ存在として愛されたのです。
見世物女相撲もまた、この「町娘」像の延長線上に位置づけられるかもしれません。
女性がまわしを締め、男のジェンダーを纏うことで異性性の象徴を提示しつつ、それでもなお「根が女の事なれば」と観客に女性的な恥じらいを感じさせた――こうした非日常的でありながらどこか身近な存在が、多くの人々を惹きつけたのでしょう。