9.イスラエルの目論見
イスラエルは、アサド政権崩壊とほぼ同時に、非武装地帯として設定されている緩衝地帯に、軍事侵攻を始めた。イスラエルとシリアの引き離しを狙って、シリア領であるにもかかわらず、非武装の緩衝地帯として設定されていた地域だ。明白な合意違反だが、イスラエルはゴラン高原全域を占領し続けるだろう。ゴラン高原の完全制圧で、シリアとレバノンの両国の勢力に対して、イスラエル軍は、顕著な優位を確立できるからだ。さらにイスラエルは、旧アサド政権軍の軍事能力を消滅させるための空爆を数日にわたって継続し続けている。今や旧政権の航空兵力などは、完全に無力化された状態だと推察される。こうしたイスラエルの行動を、HTSは問題視する素振りすら見せていない。アサド政権崩壊まで、政権軍に執拗な空爆を繰り返して、HTSなどの勢力の進軍を側面支援していたのは、イスラエルだ。側面支援に対する対価に等しいという共通理解があることがうかがわれる。イスラエルの夢は、国境付近のドゥルーズ系住民などと結び、砂漠を越えてアメリカ軍が基地を持つタンフ(at Tanf)を通って、親米勢力クルド住居地区とを結ぶ「回廊」を作り上げることだ。これによってイランの「抵抗の枢軸」勢力の動きを、物理的に封じ込めることが容易になる。ただし、このイスラエルの目論見の前に、トルコが立ちはだかる。クルド系勢力の拡大を阻止したいからだ。
10.アメリカの自重シリア情勢の急速な展開において、アメリカは存在感を見せていない。もちろん目に見えないところで暗躍しているとは思われるが、タンフに軍事基地を置いているにしては、目立っていない。この背景には、バイデン大統領が任期を一カ月残すだけのレイムダック状態にあることが、大きいだろう。トランプ次期大統領は、「シリアに介入してはいけない」とバイデン政権をけん制するようなポストをSNSに投稿した。すでに新政権の人事案も決まり始めているだけに、このトランプ氏の姿勢は、大きな効果を持っているだろう。アメリカの不介入主義の姿勢は、イスラエルやアラブ諸国の意向や動向に左右される要素もあると思われるが、基調路線に変更はないだろう。ただトランプ氏は、中東和平に意欲を持っている。トルコやロシアは、トランプ氏がやはり重大な関心を持つウクライナ情勢と深く関わる勢力だ。もともとアサド政権の弱体化の主要要因は、アメリカが主導する国際的な制裁体制で、経済が悪化したことにある。トランプ氏は、いずれにせよ、シリアに対する制裁を解除するかどうかの判断を迫られる。仮にトランプ氏が不介入主義を貫くとしても、制裁をめぐる政策などについて、アメリカの姿勢は、全く無関係ではない。