――なぜドキュメンタリー制作に興味を持ったのでしょうか。

インマン氏:小さい心から、ストーリーテリング(物語を語る)こと、お話を聞いたりすることに興味を持っていたんですが、それが仕事になるとは考えたこともなかったのです。

大学では、人文地理を勉強していたんですけれども、一番私が勉強になり、心に響いたのがドキュメンタリーを見た時だったんですよ。

インマン氏はドキュメンタリーのほうが「もっと心に響く」と感じ、「全然コネクションはなかった」が、ドキュメンタリーの世界に飛び込んだ。

大学生のうちに制作会社のアシスタントとして働くようになって、下積み生活をつづけた。お笑いからアート系まで様々な補助的な仕事を手掛け、いったんは経済紙のリサーチャーにもなったが、その後はまたテレビ界に戻り、日本語に堪能という強みを生かし、日本関係の番組作りにかかわるようになったという。

「すごく大変だった」が質の高い番組作りに参加したのは、日本の美術を深く掘っていく「アート・オブ・ジャパニーズ・ライフ(The Art of Japanese Life)」で、1時間番組(10回シリーズ)だった。秋田でも長い間取材し、無農薬栽培のドキュメンタリー「オーガニックテロリスト」を制作している。

――テレビ番組でのプロデューサーとはどんな仕事なのでしょう?

インマン氏:幅広い仕事で、プロジェクトによってその仕事内容が変わってきます。

ドキュメンタリーでは、プロデュ―サーとは番組のコンテンツを仕込む仕事です。監督に大きなビジョンがあって、それを仕込む仕事。監督の右腕とも言えるでしょう。

――ここをこんな風にする、というコンテンツを書くこともあるんですか?

インマン氏:それもその時によります。監督が日本の自然を表すアートを見たいと言ったら、監督自身もどんなものを見たいかを考えているかもしれない、例えば盆栽、日本の美しい景色など。よい所を探してくれ、と言われてリサーチから始まる場合もあるし、監督が良いアイデアを持って、もうリサーチが済んでいるから、撮影場所など、どこに行って何をするのかを仕込んでくれとか。本当に細かいところまで計画を立てますね。