イタリアのセリエAは1929/30シーズンに統一リーグとして発足し、イタリアサッカーの象徴的存在となった。1940年代にはトリノが「グランデ・トリノ」として黄金期を築き、リーグ5連覇を達成する圧倒的な強さを誇った。しかし、1949年の航空事故で多くの選手を失い、イタリア全土に深い衝撃を与えた。この悲劇の後、1960年代にはインテルが「グランデ・インテル」として台頭。守備の美学を体現する「カテナチオ」の戦術でセリエAのみならず欧州制覇も成し遂げ、イタリアサッカーの威厳を示した。
1980年代から1990年代にかけて、セリエAは「世界最強リーグ」と称され、故ディエゴ・マラドーナ(1960-2020)がナポリを優勝(1986/87、1989/90)に導き、ミラン、ユべントス、インテルがタイトルを総なめにした。MFロベルト・バッジョ(2004年引退)、DFパオロ・マルディーニ(2009年引退)、FWガブリエル・バティストゥータ(2005年引退)らスター選手が輝いたこの時代は、セリエAの黄金期として語り継がれている。
しかし、2000年代に八百長スキャンダル(カルチョポリ)が発覚し、リーグの地位は低下。それでも近年ではFWヴィクター・オシムヘン(ガラタサライ)やFWラファエル・レオン(ミラン)ら新たなスター選手が台頭し、セリエA復権への期待が膨らんでいる。現在も欧州5大リーグの一角として、「戦術のリーグ」の伝統を守り続けている。
そんな歴史と魅力を持つ大舞台のセリエAに、日本人選手たちも挑戦を続けてきた。ここでは、これまでセリエAでプレーした日本人選手たちを時系列で紹介する。
1:三浦知良(ジェノア/1994-1995)
アジア人初のセリエA選手としてジェノアに加入した、ご存じキングカズことFW三浦知良(アトレチコ鈴鹿クラブ)。当時、ジェノアのユニフォームの広告権をケンウッドが獲得したこともあって、スポンサーを得るための移籍などと騒がれた。セリエA開幕戦において先発出場したが、鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷する不運に見舞われた。唯一の得点はサンプドリアとのジェノヴァダービーで挙げた。セリエAで21試合に出場し1ゴールを記録。