ただ、その偽善が、社会の変化で主張し通せなくなり、世の中に多数の利己的な考えが頭をもたげてくる。いうなれば、形式をつくろって格好つけても仕方ない。食えなきゃなんともならない。ルールなんぞクソくらえだ。まずは自分中心的に行こうじゃないか、と。

そして社会はやがて露悪家の時代となる。ただ、露悪家ばかりになると、ホッブズの万人の万人に対する争いよろしく、また互いに不便を感じてくる。常に身の危険を感じざるを得ない。その不便が高じて極端に達すると、「ちゃんとルールを作って、それを守ろうじゃないか」という形で、また利他主義が復活する、という繰り返しである。

世界も日本も露悪化してきている?!

さて、ここで、問いたい。アメリカ大統領選を見てどう感じるだろうか。

民主党に代表される、環境を重視したり、人権(移民たちも含めて)を重視したり、国際的な公平・公正な貿易・通商協定を大事にしたり…という、教育を受けたものが常識的に感じる正しさは、「偽善」だとして、「露悪」の前に屈したように見える。トランプは、漱石の言うところの典型的な露悪家であろう。

次代に向けて社会を維持する美しいルールが、今を生きる大多数の人たちにとって「偽善」に見え始めるとき、すなわち、「偽善ぶったって、結局、食って行かれないんだよ」というルサンチマンが爆発する時、社会は露悪化するわけだが、まさに今のアメリカがそうだ。

先述のプーチンも、「ルール」を盾に譲歩を迫る欧米に対して、「お前ら綺麗ごとばかり言ってるが、結局、NATOをじわじわ拡大させて、旧ソ連圏の影響力を削いできているだけだろうが。ふざけんな」と、露悪精神むき出しで軍事力の行使を行ってきている。

最近のイスラエルの動きも自衛権を振りかざした露骨な「露悪」だ。欧米の「偽善」を鼻で笑うかのように、ガザ地区の無辜の民を何人殺そうとも「俺たちにも生存権があるんだよ。偽善の結果、120人もの人質取られてしまってとんでもないことになったんだから、5万人でも6万人でも殺すぞ」という露悪だ。