■父の死後、セクトのリーダーに
ウォーレンは、広大な敷地のセクトの中にあるFLDS私立校「ALTAアカデミー」の校長を長年務めていた。もともと堅物な男だったウォーレンは、父の死を受けて預言者からリーダーへと昇格すると、コミュニティを拡大させていった。「家にはテレビは置かない。インターネットも使用禁止」という規則を作り、モダン化していた女性や子供たちが着る服や髪型を80年代風に戻すよう命じた。子供達が遊ぶ玩具もウォーレン自らチェックを入れた。
2002年、FLDSのリーダーへと正式に昇格したウォーレンにはすでに複数の妻がいたが、父親の未亡人たちに対しても「自分の妻になるように」と言い渡した。これまでのFLDSの教義にはなかったことだったため、驚いてセクトを逃げ出したり、拒否したりする未亡人もいたが、彼女たちに対しては「2度と結婚することは許さない」と命じた。
ウォーレンはFLDS責任者として、14歳を過ぎた少女たちと男性信者との結婚を積極的に仲介するようになった。自分こそ選ばれしリーダーで預言者だと自負していたウォーレンのワンマンぶりに耐えられなくなった者は多かった。ウォーレンは2004年、自分に反発心を抱くコロラド州の信者20名を破門処分にし、残された彼らの妻たちは別のFLDS信者と再婚させた。いとこ同士の結婚も平気で行わせた。
しかし2004年末、破門にさせられたウォーレンの甥にあたるブレント・ジェフという男性が訴訟を起こし、「ウォーレンに性的暴行されたことがある」と暴露したことで事態は一変する。彼の訴訟がきっかけで、無理やり結婚させられ性行為を強要されていた未成年たちも続々告発を始めた。ウォーレンはセクトにこもるようになったが、その間も告発は増え続け、FBIはついにウォーレンを指名手配したのだった。