■祖父の代からの筋金入り信者だったウォーレン

 ウォーレンは1955年12月3日にカリフォルニア州サクラメントに誕生。父ルーロン・ジェフはアリゾナ州コロラドにセクトを持つFLDSのリーダーで、1986年から92歳で亡くなる2002年まで務めた。また、祖父にあたるデイヴィッド・ウィリアム・ワード・ジェフも一夫多妻生活を送っていたFLDS信者だった。ウォーレンはFLDS三世として生まれ、FLDSの筋金入りの信者として育った。

 父親のルーロンは、少なくとも75人の妻を娶り、自分の血をひく子供を少なくとも65人産ませたとされている。ルーロンは29歳になる1938年までLDS信者として生活させられ、1930年から1932年までの2年間イギリスでモルモン教の布教活動も行なっている。

「一夫多妻カルト」の指導者ウォーレン・ジョセフの狂気!
(画像=ルーロン・ジョセフ。画像は「Wikipedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 FLDSは神権者と呼ばれる選ばれた男性信者が権力を握るカルトであり、男子は外に出されることが多い。そして「外の女を娶ったら戻ってくることを許可する」と言われる。いとこ婚も頻繁に行っており、遺伝上の問題を起こりにくくする意味もあって、男には他で女を探し、女児をたくさん産ませるようにと推奨していたのだろう。

 ルーロンはモルモン教徒の女性と結婚。これを受けて、1938年にデイヴィッドからFLDSに戻るよう命じられる。ルーロンは迷わずFLDSに戻り、一夫多妻を始めた。LDS信者時代に結婚した最初の妻は一夫多妻に猛反発して離婚して出て行ったが、ルーロンは考えを変えずFLDS信者としての道を極めるようになったのだ。

 ルーロンは1945年春にユタ州ソルトレイク・シティに移住した。1986年、ルーロンは伝道者の中でも一番ランクの高いリーダー的存在に就任。14歳、15歳という未成年妻も娶るようになったと伝えられる。

 ちなみに、アリゾナ州では1953年7月に36人の男性が重婚罪で逮捕され、86人の女性、263人の子供たちが保護されるという事件があった。が、2年も経つとほぼ全員がセクトに戻り再びFLDSの生活を送るようになったと伝えられている。ルーロンもユタ州に移住したことで逮捕を逃れていた。

 ルーロンがリーダーになると、数多くいる息子の中でもお気に入りだったウォーレンは、父を支えるため、教会リーダーのカウンセラーという重要なポジションに就いた。ルーロンが脳卒中で倒れて寝たきりになったときは、「代弁者」としてルーロンの代理としての役割を果たすようになった。