憧れの即興演奏が純粋な音要素だけではなく、仲間内の暗黙の了解や決まり文句、手癖によっても駆動されていると考えると、やや幻滅するかもしれません。
しかし即興が脳の創造性の純粋な形と考える既存の捉え方のほうが、美化しすぎているとも言えます。
人間は身体的な要素とは無縁ではいられないからです。
また研究では「テトラコード」ごとに異なって形成される手癖の記憶は、転調を含む即興演奏の自由度に重大な影響を与えていることが示されました。
(※テトラコードとは、音階を4つの音のまとまりとして捉える考え方で、ドレミファやソラシドなどが例として挙げられます)
谷准教授はこれらの知見は「音楽が音だけではなく、手指・身体の使い方と関連しながら成り立っていることを示している」と述べています。
しかし谷准教授は分析を続ける中で、近代的な西洋音楽とは異なる発展を遂げたイラン人たちの即興の中に、より深いものを発見することになります。
即興の精神は文化によって大きく異なる
谷准教授は、分析を進める中で、近代的な西洋音楽とは異なる発展を遂げたイランの即興演奏に、より深い意味を発見しました。
イランの人々は、伝統的に口頭伝承を基本とする文化を持ち、音楽も声を通じて伝える形式を採用してきました。
これは、音楽を直接耳で聞き、口頭で伝える方法です。
一方で、西洋文化では音楽を楽譜という形で記録し、テキストとして伝える文化が根付いています。
例えば、イランの2つの異なる流派によって継承されてきた同じ名称の音楽があります。
もしこれらを楽譜に起こすと、旋律やリズムが明らかに異なることがわかります。
しかしこれらの音楽を音声のみで認識し伝承するものにとって、その捉え方は異なります。
先にも述べたように、この2つの旋律は同じ名称で伝承され、社会に共有されてきました。