さらに、酒場を街の一角に追いやる道徳的隔離策なども講じられたものの、これまた皮肉なことに、「悪」を認める形となり効果は限定的でした。
それでもなお、自治体ごとに酒場の閉鎖を進める「ローカル・オプション」が最終的にはうまくいきます。
そうして酒場の名はキャバレーやカフェへと移り変わり、その空間は、売春婦が締め出され、女性連れでも安心して訪れる場所へと変貌したのです。
この動きは全米へと広がっていき、遂に1920年には憲法改定により、アメリカ全土で禁酒法が施行されることとなったのです。
賛否の分かれている禁酒法
このように鳴り物入りで施行された禁酒法ですが、1933年には再び憲法改定により、アメリカ全土での禁酒法は廃止されました。
なお憲法には「州にアルコールの輸送を制限するか禁止する権利を委ねる」と書かれていることもあり、その後も一部の州では禁酒法が継続され、現在でも一部の自治体では酒の販売や提供が禁止されています。
禁酒法が廃止された理由としてはこれまで大きな収入を占めていた酒税が無くなったことにより政府の財源に悪影響を及ぼしたことや、酒の密売によってマフィアが力をつけ治安が大いに悪化したことなどが理由として挙げられています。
では元々の目的であった、飲酒による社会の退廃は禁酒法によって改善することができたのでしょうか。
実際に禁酒法の時代、ビールの消費量は明らかに減少していました。
ただし、この事実を以て成功とするには早計です。
ビールの消費量が激減する一方で、スピリッツ――つまり蒸留酒の需要が高まり、家庭の片隅や秘密の工場で密造される始末です。
飲む量こそ減ったが、飲む酒が変わっただけとも言えます。