日本陸海軍の対米英蘭作戦の第一段は、南方作戦であった。東南アジアにおける米英勢力を駆逐するとともに、蘭印(オランダ領インドシナ)のジャワなどの重要資源地帯を攻略確保することが目的であった。したがって連合艦隊は南方作戦にも参加しなければならないし、イギリス東洋艦隊への対応も必要になった。南方作戦と、米海軍との艦隊決戦とを両立することはきわめて困難である。

連合艦隊司令部首席参謀で山本の懐刀だった黒島亀人は、真珠湾攻撃に反対する軍令部との論戦において、真珠湾攻撃によって米太平洋艦隊を叩いておかなければ、南方作戦は不可能であると主張したが、これは黒島の言うとおりだろう。真珠湾攻撃によって、一時的とはいえ、米太平洋艦隊を行動不能にしたからこそ、南方作戦はスムーズに進んだのである。

とどのつまり、日本海軍にはハワイ作戦以上の妙案はなかったといえる。外交当局の不手際により開戦通告が遅れ、真珠湾攻撃が宣戦布告前になったこともあり、「だまし討ち」に遭った米国民は怒り、かえって士気を昂揚させてしまった。この点は山本の誤算であったが、ほかは予想以上の成果だった。

米太平洋艦隊が航空哨戒を怠っていなければ、真珠湾到着前に機動部隊は発見され、かなりの被害を受けていただろう。山本の勝利は敵の油断や幸運に助けられたものであり、現実以上の成果を挙げることは難しい。

連合艦隊が米太平洋艦隊主力を撃破したことで、米艦隊が南方作戦に介入する可能性はなくなり、南方部隊は行動の自由を得た。開戦から半年の日本の快進撃は、真珠湾攻撃の成功に支えられている。軍令部が望む作戦目的を山本は果たしたのであり、この点は正当に評価されるべきである。

もちろん、そもそも対米戦をやらないことが最善だったことは言うまでもない。山本自身、対米戦は十中八九負けると考えていた。

それならばなぜ、「対米戦争はやれません。やればかならず負けます。それで連合艦隊司令長官の資格がないと言われるのなら、私は辞めます」と山本は言わなかったのか、というのが前出の生出の批判である。