歴史における偶然の役割を知ることは、現状が「こうでなかった可能性」に目を向けるとともに、異なる地域への共感を養う土台になる。「たまたま」自分が恵まれていて、他人が不幸であると認識するのは、支援に踏み出す第一歩だからだ。

対して、あらゆる地域が欧米型の民主主義へと進み、その結束はけっして揺らがず、無限に支援が続くことで「正しい」側が勝利するといった必然の語りによる現状の説明は、ただの嘘である。そんな「ファンタジー史観」に、いくらオタッキーな専門知を乗せようと、なにも実現しない。

まともな歴史感覚抜きに、軍事力という1つのパラメータだけを上げ続けて、課題を解決しようとする発想にこそ躓きの石がある。そうした安易な支援者しか得られなかったことが、ウクライナ政治の最後の悲劇であった。

「民主化への道」を歩むはずだった 2014年のキーウ (写真はWikipediaより)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。