同書、322頁(算用数字に改変)

相当数の「親露派」が票田としてウクライナ国内に残り、同国の大統領選で「親露的」な候補を勝たせる状況こそが、プーチンには最も好ましかった。逆にいうと、2022年2月の侵略は「その可能性は消えた」と、彼が見切ったことで始まった。

幕末以降の日本でも、有力者どうしが現体制の内側で実権を分けあおう、とする試みが破れた後は、周知のとおり戊辰戦争という内戦が起きている。その死者数が低くて済んだ――1万4000人弱だが、ほぼ同時代のアメリカ南北戦争は62万人――のは、以下の理由によるであろう。

① 地理的にどこまでが日本か、という国土の領域に関しては、ほぼ争いがなかった(この条件は、ウクライナにはない)。 ② 国民国家が形成される以前であり、兵士としての動員が主に武士階級のみに限られた(ウクライナにはない)。 ③ 片方の勢力を支援して、軍事力を送り込み介入する隣国がなかった(ウクライナにはあった)。 ④ 19世紀の後進国では、殺傷能力の高い兵器が限られていた(ウクライナでは限られない)。

三谷博『民主化への道は…』を参照しつつ 筆者作成

「シングル・スタンダード」のように全世界に押しつけてよいかは別として、政治の民主化を求める欲求には、普遍的なものがある。だがそれが軍事的な犠牲なくして実るかは、歴史のタイミングと地政学的な環境によって、変わってしまう。

まさに偶然としか呼べない要素によって、成否が左右される。日本の「民主化への道」が、ウクライナのようなルートを辿らなかった理由は、つき詰めて言えばただの運である。