もともとはソビエト共産党の書記長に全権力があり、ロシア共和国の首脳が誰かなんてどうでもいいはずだった。ところがゴルバチョフ書記長がクーデターで一時軟禁されたりした結果、「いつの間にか、ゴルビーよりエリツィンのほうが権力持ってない?」という雰囲気になってしまった。ロシア共和国大統領のエリツィンに実権があるのなら、ソ連なるものが別途存在する意味がわからない。こうして、あっという間に連邦は解体されました。

『維新史再考』が描く幕末の政治過程も、マクロに見ると似ているんです。長州藩が公然と逆らっても鎮圧できないくらい、江戸幕府の統治能力はどんどん落ちていく。結果として将軍の徳川慶喜はじめ、国内の有力者たちがしばしば京都に出てきて、混乱の収拾法を話し合って決めるようになります。でも、そうなったら「もう京都の朝廷だけでいいじゃん。江戸に幕府がある意味って、なに?」ということになる。

強調は今回付与

訳書で『帝国の興亡』が出ている歴史家ドミニク・リーベンのウクライナ戦争観に、注目してきたのもそのためである。彼に従えば、「無血解体」のハッピーエンドに見えた帝国崩壊のプロセスは、実はいまも続いており、30年近く経ってついに火を噴いたのが、2022年の2月だったわけだ。

いったいどこで、誰にとっても望ましい「平和裏な連邦解体から民主化へ」のストーリーは、暗転してしまったのか?

現在、主たる戦場となっているドネツク州は、石炭資源と工業設備に恵まれた豊かな地域だった。なので同地の支配層(オリガルヒや経営者)は、キーウの中央政界に進出することで、独立したウクライナの実権を握ることをめざした。彼らの自意識では、「稼げない」他の地域を養ってやる以上、それが当然、ということになっていた。