ただ、私たちのように、日米戦争が終わった1945年に8歳、小学3年生だった戦中派世代の者には、生まれて初めて目にする民主主義という言葉が実に新鮮で、希望に満ち、きらきら輝いていたことは確かです。

終戦直後の社会科教科書の表紙

戦前の教科書は軍国主義を煽るものだからということで、全面的に使用が禁止され、代わりに配布された薄っぺらの教科書の1つが確か「新しい民主主義」というような表題で、そこには民主主義がいかに優れているかが誇らしげに書かれていました。おそらく連合国軍総司令部(GHQ)の書いた原稿をそのまま翻訳したものだったわけですが、私たちは、この教科書を読んで、民主主義への憧れを感じ、これからの日本は民主主義国家として立派に生きていくべきだと子供心に強く意識した記憶があります。

そのような原点的な体験からすると、後年耳にしたこのチャーチルの箴言には少なからず違和感を覚えましたが、年を重ねるごとに、その意味が分かるようになり、今では全く納得、同感です。民主主義は決して最善でも理想的なものでもなく、極めて欠点だらけの制度だ、だからこそ不断の注意と努力によって慎重に運用していかなければならないのだと思います。

とくにこの数年来、民主主義のお手本だったはずの米国で民主主義を否定するような「トランプ旋風」が吹き荒れ、政治や政治家が昔に比べて著しく劣化したように見え、「民主主義の危機」ということを痛感します。

日本でも、とくに「失われた30年」以後、政治の乱れや停滞が目立ち、国民の政治不信が高まっており、こうした現状にどう対処するかが大問題になっていますが、それについては、後述します。

民主主義はこうして生まれた

ここで、少し寄り道をして、そもそも民主主義とは何か、歴史的にどのようにして発達して来たかを振り返ってみたいと思います。と言っても、それを限られたスペースの中で論ずるのは到底不可能なので、駆け足でおさらいしてみましょう。