近衛文麿には文隆という嫡男がいたがシベリア抑留中に死亡し、子は庶子だけだったため、次女の次男が文隆未亡人の養子として近衛家を継ぎ、名も忠輝と改めた。二度のジュネーブ勤務を経て、国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)の会長だった。

崇仁親王の次女である容子内親王(1951年生まれ)は、学習院大学法学部法学科在学中にスイスの全寮制の学校へ留学し、ソルボンヌ大学に進学。学習院大学法学部に復学して卒業後、裏千家・坐忘斎千宗之(16代家元・千宗室)と結婚し、二男一女をもうけている。

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