袋小路に入るリベラル
このようにロシア・ウクライナ戦争の原因に関する「事実」は、プーチン妄想説に不利です。もしプーチンがアメリカによるNATO拡大の実存的脅威からロシアの生き残りをかけてウクライナに侵攻したとするならば、彼は「合理的行為者」になってしまい、プーチン=邪悪な指導者の構図が崩れてしまいます。これはリベラルには受け入れ難いことでしょう。
それでもリベラルが、あくまでもプーチンは「人殺しの悪党」だからウクライナに侵略したというロジックを押し通すのであれば、戦争を防止したり解決したりするには、プーチンの暗殺や失脚を視野に入れなければならなくなります。なぜならば、かれがロシアの大統領である限り戦争は続くからです。この戦争を終わらせるには、プーチンを暗殺するか権力の座から引きずり下さなければなりません。
これはウォルツ氏が「(戦争決定した人物を)選別除去(すれば)平和の見込みも増加する…(そうなら)暴君殺害が科学的手法に含まれなければならない」(同書、66ページ)と喝破する通りです。しかしながら、バイデン政権はロシアの体制転換を目指さないと断言しています。善悪論に依拠したリベラルの戦略は、このように根本から矛盾してしまうのです。
それだけではなく、この戦争におけるリベラルの提言は、ますます事態を悪化させかねません。リベラルは、法に基づく国際秩序を守るためにロシアを敗北させなければならないと強く主張します。ロシアのウクライナ侵略は領土保全を侵害する国際法に反する行為なので、厳しく罰しなければならないからです。
確かに、こうした主張には一理あるのですが、ロシア軍をウクライナから撃退して、リベラル国際秩序に泥を塗ったプーチンに懲罰を加えることが招くであろう帰結にも、われわれは深い注意を払わなければなりません。
リアリストからすれば、リベラル国際秩序はソ連が崩壊した冷戦後の束の間に、アメリカが国際システムにおいて単独の大国として振舞うことができたときの副産物に他なりません。この「単極の瞬間」が終わりを迎えつつある今日に、アメリカがリベラル国際秩序の「幻想」を追い求めることには無理があります。
国際秩序と戦争
バリー・ポーゼン氏(マサチューセッツ工科大学)が的確に指摘するように、アメリカ主導のリベラル世界秩序の観念は、かなり陳腐に見えています。その知的構築物の礎だった単極構造はもはや存在ないからです。代わりに、我々はアメリカ主導の冷戦型連合の再来を目撃しているのです。
エマ・アシュフォード氏(ケイトー研究所)も「ウクライナ(戦争)は、ポスト冷戦期のアメリカの地球規模での影響圏の限界と、ロシアが自己の地域圏と見なすものを守れることも示した、明らかな指標である。したがって、ウクライナでの戦争は単極の瞬間を延長線上にないのだ」と主張しています。
アメリカが今も単独の覇権国であるならば、そのパワーを行使して、ロシア軍をウクライナから放逐できたか、戦闘を今よりも極小化できたでしょう。ロシア非難や制裁に参加する国家も、もっと増やせたでしょう。アメリカが圧倒的に強ければ、プーチンに「ロシアを敗北させられるなら試してもらおう」「ロシアはまだ本気になっていない」とは、簡単に言わせないはずです。
ウクライナにおける戦況やロシアの態度は、アメリカには世界規模のリベラル秩序を維持できるパワーが、もはやないことを示しています。
それでもアメリカがウクライナに積極的に軍事介入してロシアを敗北させようとすれば、核武装した大国同士が交戦するリスクは高まります。はたして、リベラルは、こうした世界を終末的な大惨事へと導きかねない危険を冒してまで、ロシアに懲罰を加えることを正当化できるのでしょうか。
リベラル派の重鎮であるジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学)は、核時代における倫理的責務について、次のように述べています。
道義的な憤りの表明は…ときに破滅的な結末へとみちびく…われわれは…核戦争をおこすようなカオスを避けるという最小限の義務を負っている。
(『核戦略と倫理』同文舘、1988年、20、47ページ)
キューバ危機で核戦争の深淵を見たケネディ大統領は、その翌年のある演説において、「核大国は敵に屈辱的な退却か核戦争のどちらかを選択させる対立を避けなければならない。核時代にこの種の選択をすることは、我々の政策の破綻か、世界にとっての集団的な死の願望のどちらかなのは明らかだ」と訴えました。
おそらく、リベラルはロシアの核の威嚇をプーチンの虚勢と退けるのでしょうが、ベストセラー『ブラック・スワン』の著者であるニコラス・タレブ氏が主張するように、「将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておく」(同書、67ページ)ことが、リスク管理の基本になるでしょう。