さて問題は、いま世界の全体を見渡したとき、日本型と米国型と、どちらの国が多いのかということである。これはずばり主観ですけど、やっぱりアメリカの方なんじゃないすかねぇ。

忘れた人もいるかもだけど、2020年からのコロナ禍では、米国の対応は州の知事が民主党系(行動制限)か共和党系(経済重視)かで割れた。あれだけの世界的なパニックの中でも、国全体が「一色」にならなかったわけだ。

欧州はスウェーデンを除き、行動制限一色になったけど、これは法律で強制したからであって、日本人のように「メディアの予言になびいた」わけじゃない。だから現に、ロックダウンが長期化すると、「ふざけるな」と抗議する動きがどの国でも生じて、やっぱり一色ではなくなっている。

メディアの流す情報を日本人がみなほいほい信じて、簡単に一色に染まるのは気持ち悪くもあるが(いわゆる同調圧力)、分断が少ない社会ゆえだとも言える。デモと警官の暴力的な衝突を見ずに、コロナもやり過ごせたある種の「平和さ」を、ぼく自身は支持しないけど、安易に否定もしない。

ただその平和がいつまで続くかは、わからない。

なにより、分断の少なさに甘えて「主観も客観もごっちゃ」な発信を続けながら、海外情報のコピペで「国際情勢に通じる」かのように装い、現実に裏切られるや沈黙か・手のひら返しか・キャラ変かで、生き残りを図るセンモンカは醜悪だ。

米国のカントリーリスクは、選挙で示されたとおりの分断だ。しかし日本には、均質性の高い社会が分裂する世界と接するがゆえの、別のリスクがある。メディアの予想がフェイクに終わった顛末から、私たちが得るべき教訓もまたそこにある。

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。