犠牲者たちの遺体は灰の層に包まれることになりましたが、火山灰は周囲の酸素を遮断するため、細菌による遺体の分解が遅くなり、遺体の形が比較的長く保たれました。

このため、ポンペイを覆う火山灰の層には、犠牲者が倒れた姿をそのまま写し取った空洞が残されたのです。

ポンペイは、その後1700年放置されたままでしたが、18世紀に発掘が開始され、このとき犠牲者の空洞も発見されました。

そして19世紀の考古学者は、この空洞に石膏を流し込むことで、彼らの最後の姿を再現することに成功したのです。

これらポンペイの像の中でも有名なのは、子供を含む「4体の像」であり、彼らは1組の家族だと考えられてきました。

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1組の家族だと考えられてきた石膏像 / Credit:courtesy of Archaeological Park of Pompeii_DNA evidence rewrites story of people buried in Pompeii eruption(2024, Max-Planck-Gesellschaft)

多くの人は、写真の右には「子供を抱きしめる母親」がいると考えました。

噴火から逃げる時、もう間に合わないと思った母親が愛する我が子を抱きしめ、火砕流から何とか守ろうとした姿が、そのまま残ったというのです。

また「抱き合う2人の女性」の像も有名であり、彼女たちは「姉妹」または「母と娘」だと考えられていました。

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抱き合う姉妹か母娘だと考えられてきた石膏像 / Credit:courtesy of Archaeological Park of Pompeii_DNA evidence rewrites story of people buried in Pompeii eruption(2024, Max-Planck-Gesellschaft)

人々はこれらの像から当時の恐ろしい状況を想像し、またそのような悲劇に襲われたポンペイ市民たちが最後に見せた「絆」の物語に胸を打たれてきました。