犠牲者たちの遺体は灰の層に包まれることになりましたが、火山灰は周囲の酸素を遮断するため、細菌による遺体の分解が遅くなり、遺体の形が比較的長く保たれました。
このため、ポンペイを覆う火山灰の層には、犠牲者が倒れた姿をそのまま写し取った空洞が残されたのです。
ポンペイは、その後1700年放置されたままでしたが、18世紀に発掘が開始され、このとき犠牲者の空洞も発見されました。
そして19世紀の考古学者は、この空洞に石膏を流し込むことで、彼らの最後の姿を再現することに成功したのです。
これらポンペイの像の中でも有名なのは、子供を含む「4体の像」であり、彼らは1組の家族だと考えられてきました。
多くの人は、写真の右には「子供を抱きしめる母親」がいると考えました。
噴火から逃げる時、もう間に合わないと思った母親が愛する我が子を抱きしめ、火砕流から何とか守ろうとした姿が、そのまま残ったというのです。
また「抱き合う2人の女性」の像も有名であり、彼女たちは「姉妹」または「母と娘」だと考えられていました。
人々はこれらの像から当時の恐ろしい状況を想像し、またそのような悲劇に襲われたポンペイ市民たちが最後に見せた「絆」の物語に胸を打たれてきました。