再びW・ザートマンの「成熟」理論に立ち戻れば、2024年前半は停戦に非常に機が熟し始めていた時期であった。私自身も、そのような趣旨の文章をいくつか書いた。私について言えば、この時期は、結果として「篠田は隠れ親露派だ」と非難され始めた時期だ。

しかしこの停戦機運の高まりに最も激しく抵抗したのは、ウクライナのゼレンスキー大統領であった。まずザルジニー総司令官を罷免して、自分の意向で全軍を動かせる体制を作り、8月にはロシア領クルスクに侵攻するという合理性を欠いた作戦を実行し始めた。一言で言えば、たとえウクライナが不利になる結果しかもたらされないとしても、ただ停戦の機運が熟することにだけは抵抗する、という態度であった。

ウクライナが持ちうるせめてもの期待は、短期でもいいので、かすかな成果を、アメリカの大統領選挙前に作り上げて、せめてほんの少しでも望ましい方向に大統領選挙戦を進めさせる影響を与えたい、ということだっただろう。しかしクルスク作戦の効果は、極めて短期的な電撃的瞬間の間だけしか続かず、軍事的・政治的な意味は乏しかった。

ゼレンスキー大統領の思い付きで、ロシアの国境の小さな町スジャに立てこもって謎のスジャ防衛戦で多大な犠牲を払っているウクライナ軍に対する責任は、いったい誰がとるのか、という問いは、今や政治的な事情でタブーになっている。もしウクライナ国内で、そんな問いを発したら、身辺の危険を心配しなければならないだろう。クルスクの話題は、ゼレンスキー大統領のSNSに登場することもなくなった。