この機会に、いかにアメリカの大統領選挙の日程が、ロシア・ウクライナ戦争に大きな影響を及ぼしていたかを、振り返ってみよう。
ロシアの全面侵攻が開始された2022年2月24日は、まだバイデン大統領が就任して一年の時期だった。前年8月の無残なアフガニスタンからの完全撤退の痛手を抱えていたバイデン政権が、外交政策で失点を取り返す大きな機会として、ウクライナ大規模支援に踏みこんだ。ウクライナ及びバイデン政権の双方に合理性があった時期だ。
キーウ包囲戦を仕掛けてきたロシア軍を撃退し、急速に拡大させたロシアの支配地を削り取る作戦を行った2022年後半までのザルジニー総司令官を擁したウクライナ軍の動きは、見事であった。そもそも19万の軍隊でウクライナ全土を占領することは、ロシア軍にとっても不可能であった。
しかし、私自身は2022年から様々な媒体で繰り返し繰り返し述べてきたように、ロシアがウクライナを完全併合するのは難しく、しかしウクライナがロシアに軍事的完全勝利するのも難しい。どちら一方の完全達成で終わる結末は想像できない。両者がせめぎあう何らかの状態で、戦争は終わりになるしかない。
そこでウクライナ軍は2023年夏前からいわゆる「反転攻勢」をかけた。この「反転攻勢」は成果を上げることができなかったと結論付けられているが、上記の見方にそって言えば、ウクライナ軍は、2023年の段階で押し込める極限点までロシア軍を押し込んだ。その極限点を見極めるための作戦であったと言ってよい。
これによって、戦局は、「膠着状態」に入った。私が初期段階から語っていた、W・ザートマンの紛争調停タイミングの「成熟理論」にそった「相互損壊膠着(MHS)」と言える状態だ。