茨城県警とオーストラリアで生活圏は重ならないから、東野氏が当該の人物と出会う不安に直面したのは、(民事の賠償請求ではなく)刑事告訴を選んだ後である。同氏のnoteからは、ここがわからないので、多くの読者は中傷がなされていた間から、一貫して恐怖に駆られたと誤読するだろう。

もちろん、相手が力ある者(居住地の警察官)だからと言って、泣き寝入りを強いられる事態はおかしい。だがX上での加害/被害と、刑事告訴後に生じた問題の前後関係を混乱させ、中傷行為のあいだ中ずっと遭遇への不安に曝されたという印象で、経緯を広めるのは正確ではない。

今回の文春の第2報、および東野氏自身のnoteを読んでも、6月に私が問題提起した、X上の誹謗に対して①なぜ民事の賠償請求ではなく刑事告訴を選んだのか、②相手の職業をどうやって知ったのか、の答えは得られなかった。

加害者の問題ぶりに照らすと、素で職場(警察署)のPCから中傷していた可能性も想定しえたが、判決を受けてNHKと毎日新聞は、ともに「自宅から自分のスマートフォンで投稿した」と報道している。だとするとますます、いかにして勤務先を特定したかがわからない。

なんであれ加害行為(の報道)に接したとき、被害者の側に共感するのは当然だ。しかし、それは事態を正確に認識しないことの免罪符にはならないし、まして「共感ゆえの別の加害行為」を生んでよいことにもならない。