■グリル・フレームがイランに“出動”
“サイキック部隊”はいったいどの“戦場”へと駆りだされたのか? それは戦地ではなく、1979年11月にイランで発生した「イランアメリカ大使館人質事件」への“出動”であった。
1979年1月のイラン革命後、国を追われ一時エジプトへ逃れていたイランの元皇帝、パフラヴィーがアメリカに迎え入られたことに反発したイスラム法学校の学生らが、同年11月4日にアメリカ大使館に侵入して占拠。施設内にいた大使館職員や海兵隊員とその家族の計52人を人質に元皇帝の身柄引き渡しを要求した事件が「イランアメリカ大使館人質事件」である。
この事態をなんとか収拾しようとアメリカ政府が白羽の矢を立てたのがほかならぬサイキック部隊であるフレームなのだ。もちろんフレームが直接イランへ赴いたわけではない。フォートミードの拠点で6人の超能力者が集いリモートビューイング(遠隔透視)による“作戦行動”を200回以上も行っていたことが文書から明らかになっている。
その“作戦行動”の具体的な目的は、リモートビューイングで遠く離れたイランのアメリカ大使館の中を“観察”し、アメリカ人の人質が施設内のどこにいるのか、どのように軟禁されているのか、健康状態はどうなっているのかを把握することにあった。そしてこれらの情報をもとにして、何らかの方法で人質を救出することが最終目標であったのだ。はたして、このサイキック部隊の“作戦行動”は功を奏していたのだろうか。