…という状況は、ものすごく「不安定な政治」になる可能性ももちろんあるけど、一方で巨視的に巨視的に見ると、
「揺るぎない中道路線へ向かう国民の意志」
…が示されているという見方もできるはずですよね。
こういう状況にいずれなるということを、私は10年ぐらい前に出した本で予言していて、以下はその本でも最近の本でも使った図なんですが…
以下の図は右に行くほど「保守派寄りに過激」、左に行くほど「改革派」的に過激、縦軸が「そのポイントのコンセンサスの共有しやすさ」を表しているんですが、民主主義社会というのは普通にやってると以下の「M字」の図みたいになっちゃうんですね。
つまり「改革寄りで夢があるけど現実性が薄い」部分と、「惰性の延長で現実的ではあるが夢も発展性もない」という部分に「コンセンサスの取りやすさ」が集中してしまい、その真中の「両者の意見を取り入れて一歩ずつ変えていく」ような部分が「合意形成のデスバレー(死の谷)」みたいになっちゃうんですね。
ただし、これをやり続けていると、日本においては今後必ず以下のようになるのだ・・・という予言を私は10年前からしていて。
「改革派」「保守派」ともに、最も過激な部分は分離して「シグナルとしての異端者」と呼ばれる部分にはじき出される一方で、真ん中には「新しい中道的共有軸」が20世紀的な党派性とは全然違うところで成立するようになっていく。
「いずれそうなっていくからそれまで頑張って未来を信じて生きていよう」みたいなことを私は延々言い続けてきたんですが、今回選挙の「これどないせえっちゅうねん」みたいな議席数の分配は、「まさにこういう状況」を目指している国民の意志が示されたと言って良いのではないでしょうか?
そういう「大きな変化」の背後には、保守勢力側にも「まあまあリベラルな30代女性議員」みたいな候補が増えたことで、「女性議員がいることが左派の特権」ではなくなり、